『村上春樹 雑文集』感想


 インタビュー集に続けて読んだ。筆者の言う、苦手な喋りと専門分野である文章という違いはあれど、同じ人間の主張なので、より深く村上春樹という人物の核のようなものを感じ取れたと思う。そして、この2冊のハルキ本を読んだ結果、無性に外国文学を読んでみたくなった。筆者が若い頃からどっぷり外国文学かぶれだったという話が随所に出てきたからだ。そもそも僕が海外の小説も読んでみようと思うきっかけになったのも村上春樹だった気がする。それで僕はカフカの『城』とカポーティの『ティファニーで朝食を』を実家から持ってきて、チャンドラーの『ロング・グッドバイ』も村上訳はまだ読んでなかったので購入した。どれも再読になるのだが、順次読み進めている。


 衝動的に他人に何かをさせてしまうという文章(主張)というのは、作家冥利に尽きるなと感じた。そして、ふと思ったのが、この僕のブログを読んでくれている人は、どうなのだろうかということ。僕も他人に、何かを衝動的にはじめさせるような影響を与えられているのだろうか。誰かが「ふうん」とか「なるほど」なんて思いながら読んでもらえているのならば、もちろんそれで僕は嬉しいのだが(たとえ、そういった実感がなくても)、ブログを読んだ結果、実際に僕が紹介している本を買ってみたとか、ジョギングをはじめてみたとか、35歳も近いので生き方を変えてみたとか、そういった何かしらのアクションを起こしてもらえたら、それ以上の充実感というのはないだろう。というのも、人間は一度覚えたり、定着した考えや行動を変えることをもっとも厭がるものなのだ。特にまわりの「大人」は、「ためになった」「勉強になった」とは口にすれど、実際はたいして自分を変えていないことが多い。子どもは言う事を聞かないのだが、大人は自分を変えることを嫌う。


 だから、自分も何事にも感心するだけで終わらせず、実践するように変わっていきたいなと。そして、誰かを変えるくらいのパワーのある意見を述べていきたいなと。この本を読んで、自分の行動を省みて、最近の自分の身のまわりを振り返ってみて、感じた。


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【内容情報】(「BOOK」データベースより)
1979-2010。未収録の作品、未発表の文章を村上春樹がセレクトした69篇。

【目次】(「BOOK」データベースより)
序文・解説など/あいさつ・メッセージなど/音楽について/『アンダーグラウンド』をめぐって/翻訳すること、翻訳されること/人物について/目にしたこと、心に思ったこと/質問とその回答/短いフィクションー『夜のくもざる』アウトテイク/小説を書くということ

ニコルソン・ベイカー著『中二階』感想


 なんともかんとも不思議な小説だった。主人公の頭の中で思い描いている事柄すべてを文章に書き起したというような内容。でもそれはとてもリアルに描写されており、ああ、確かに自分の頭の中でも、オフィスを歩きながら、誰かと話しながらもこんなこと考えてるわと改めて気づかされた部分がある。


 とてもおもしろい内容だし、とてもユニークな切り口だと思うのだが、何となく読み疲れてきて途中で断念(そもそも、本文よりも注釈の方が俄然長かったりするわけだ。結果、読み物としてどう読み進めて良いのか迷ってしまうし、注釈を読み終わったあと何ページも遡って改めて本文を読み進めるという行為に、もちろん新鮮味はあったのだが最後まで慣れなかった)。いちいちいちいち話が脇道にそれ、脱線し、どうでもいいことをネチネチといつまでも考えあぐねた結果、そもそもさっきまで何を考えていたのか見失うというというストーリーが読み物としては、とてもイライラする。ただ、イメージとして、「世にも奇妙な物語」の“おもしろ物語”としては見応えのありそうなシナリオかと思った。


中二階 白水Uブックス 【新書】

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中二階のオフィスに戻る途中のサラリーマンがめぐらす超ミクロ的考察。靴紐はなぜ左右同時期に切れるのか、なぜミシン目の発明者を讃える日がないのか…。誰も書かなかった、前代未聞の注付き小説。再刊。
〈ベイカー〉1957年生まれ。ニューヨーク州で育ちイーストマン音楽学校とハヴァフォード大学で学ぶ。著書に「もしもし」「フェルマータ」がある。

『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』感想

物語を体験するというのは、他人の靴に足を入れることです。世界には無数の異なった形やサイズの靴があります。そして、その靴に足を入れることによって、あなたは別の誰かの目を通して世界を見ることになる。


 昔、急遽フォーマルな皮靴が必要な用事ができ、他人の靴を借りたことがある。もちろん足のサイズが似通っているから借りたわけだが、その靴を履いて歩いている間、常に違和感というか不思議な気分を感じながら歩いていたことを今でもはっきりと思い出せる。その靴は、持ち主が普段から充分に履き慣らしているものだったため、“サイズ”とはまったく別次元での、“彼の足の形”というものが出来上がっていたわけだ。そしてもちろん、彼の足の形は、僕の足の形にはアジャストしなかった。そこで僕がまず感じたのは、人によって、歩き方や歩くときの癖がまったく違うんだなという発見。一見似たような部分(たとえば靴の外側の後ろの方)がすり減っていたとしても、そのすり減る細かな角度や面積の“質”、左右の磨り減り具合のバランスがまったく違うわけだ。人それぞれに癖があることくらい当然といえば当然なのだが、実際に他人の靴で街を歩くということで、これほどまでに奇妙な思いをするとは考えてもみなかった。


 そして、その靴で歩いているうちに、自分が自分じゃないような感覚になり、僕がどこに向かおうとしているのかという自分の意志すら何者かに支配されているような気になった。たかだか他人の靴を履いて歩いているというだけで、自分が乗っ取られたような気分だったわけだ。こんなことは、他人のTシャツやスウェットを借りたときなどには、到底感じたことのない未知の体験だった。


 そのせいか、その後僕は他人の靴を借りたという記憶がない。意識して避けている部分もないではない。つまり、他人の靴に足を入れるということで、靴にコントロールされてしまうような感覚を避けているとも言える。でも、冒頭の引用のように“物語を体験するというのは、他人の靴に足を入れることです”というような、自分とは違った世界を受け入れてやろうという考え方をするならば、意味もなく、他人の靴を借りて出かけてみるってのも悪くはないような気もした。それが比喩でもメタファーでもなく、誰かの靴に足を入れることによって、まったく違う世界を体験できることは、実証済みだからだ。もとより、ぜひ君もやってみることをおすすめする。できるだけ履きつぶされた誰かの靴を借りて、街に出かけてみることを。


【内容情報】(「BOOK」データベースより)
村上春樹が語る村上春樹の世界。日本と海外メディアからのインタビュー18本を収録。

【目次】(「BOOK」データベースより)
アウトサイダー/現実の力・現実を超える力/『スプートニクの恋人』を中心に/心を飾らない人/『海辺のカフカ』を中心に/「書くことは、ちょうど、目覚めながら夢見るようなもの」/お金で買うことのできるもっとも素晴らしいもの/世界でいちばん気に入った三つの都市/「何かを人に呑み込ませようとするとき、あなたはとびっきり親切にならなくてはならない」/「せっかくこうして作家になれたんだもの」レイモンド・カーヴァーについて語る〔ほか〕

35歳ルールその2、捨てる、もったいない?


 35歳を目の前にして、もうお酒は飲まないようにしたと書いたけど、同じように、最近もう1つ新たに設けたルールがある。何か物を購入したら、今所有しているアイテムを手放す、処分するようにするといやつだ。つまりこれ以上、持ち物を増やさないというのが目的となる。


 最初にこのルールに出逢ったのは、子どもが生まれたばかりという友人の家でのこと。子どものオモチャなんかを買ったり、プレゼントされたりするうちに家の中が煩雑にならないよう、この「買ったら捨てるルール」を設けいてるという話を聞いた。なるほどシンプルだけど、とても建設的な方針だなと感心したことを覚えている。とはいえ、自分にはあまり関係のないことだなと思っていたのだが、最近になって、整理整頓術を紹介するサイトなんかで、ちょくちょく「買ったら捨てる」とか「毎日1アイテム処分していく」みたいなライフ・ハックを見かけるので、じゃ自分でもやってみることにしたわけだ。



 先日、バランスボールを購入し、その分の交換要員として靴を三足処分した。その三足は、東京時代からあるものだけど、当時からそれらを履いて外出したことなど久しくなく、ただなんとなく捨てるのがもったいない気がするという理由だけでずっと所有していたもの(うち一足はReebokのポンプフューリーで、10年くらい前のものだが一番のお気に入りだった。もう一足は練馬の光が丘公園のフリー・マーケットで100円で買った近未来的なシューズ)。もちろん、名残惜しい気持ちはあったけど、「買ったら捨てるルール」でもない限り、僕が死んで棺桶の中に一緒に入れられるまで存在し続けるんじゃないかというくらい捨てがたい物だったから、悪くない処分だったと思う。むしろ、この処分があった分、新しく購入したバランスボールは大事に使おうという意識も強くなる。


 落ち着いて考えてみれば、僕らの身のまわりには物が溢れかえっていて、いくら何でも個人が抱えられる許容範囲はとうに超えているはずなのだ。だから、どんどん売るなり捨てるなり処分して、新しい生活スタイルや環境をつくっていく方が、よっぽどど健全である。「もったいない」が大好き日本人だけど、その意味を履き違えないように注意したいものだ。

村上春樹著『回転木馬のデッド・ヒート』感想

■「プールサイド」


 35歳になった春、彼は自分が既に人生の折りかえし点を曲がってしまったことを確認した。
 いや、これは正確な表現ではない。正確に言うなら、35歳の春にして彼は人生の折りかえし点を曲がろうと決心した、ということになる。
 もちろん自分の人生が何年つづくかなんて、誰にもわかるわけはない。もし78歳まで生きるとすれば、彼の人生の折りかえし点は39ということになるし、39になるまでにはまだ四年の余裕がある。それに日本人男性の平均寿命と彼自身の健康状態をかさねあわせて考えれば、78年の寿命はとくに楽天的な仮説というわけでもなかった。
 それでも彼は35歳の誕生日を自分の人生の折りかえし点と定めることに一片の迷いも持たなかった。そうしようと思えば死を少しずつ遠方にずらしていくことはできる。しかしそんなことをつづけていたら俺はおそらく明確な人生の折りかえし点を見失ってしまうに違いない。妥当と思われる寿命が78が80になり、80が82になり、82が84になる。そんな具合に人生は一寸刻みに引き伸ばされていく。そしてある日、人は自分がもう50歳になっていることに気づくのだ。50という歳は折りかえし点としては遅すぎる。百まで生きた人間がいったい何人いるというのだ? 人はそのようにして、知らず知らずのうちに人生の折りかえし点を失っていくのだ。彼はそう思った。
(中略)
 だから35回目の誕生日が目の前に近づいてきた時、それを自分の人生の折りかえし点とすることに彼はまったくためらいを感じなかった。怯えることなんて何ひとつとしてありはしない。70年の半分の35年、それくらいでいいじゃないかと彼は思った。もしかりに70年を越えて生きることができたとしたら、それはそれでありがたく生きればいい。しかし公式な彼の人生は70年なのだ。70年をフルスピードで泳ぐ――そう決めてしまうのだ。そうすれば俺はこの人生をなんとかうまく乗り切っていけるに違いない。
 そしてこれで半分が終わったのだ。
 と彼は思う。


 少し前にも紹介したが、ある日突然、そういえば村上春樹の小説で35歳になって生き方を変えようって話があったなと思い出た。それで、無性にケンタッキー・フライドチキンが食べたくなるのにも似た抑えがたい衝動に駆られ、文庫が置いてある実家まで飛んで行って、この物語を読み返してみることにした。若干、記憶してたものと違う部分もあるが、35歳という年齢を「人生の折りかえし点」として位置づけるのは、僕にとって合点がいったし、この主人公のように35歳の折りかえしを失敗してはいけないという意識が、今はすこぶる強い。


 ちなみに、似た様なことが以前にもあった。24歳のときだ。24という年齢に差し掛かるときにも、生き方を大きく変えようとしたのだ。結果、高校時代から10年ほど続けてきたバンドを辞めた。なんだ、バンドかよと君は思うかもしれない。そもそもそんな年齢になるまでまともに働きもせずバンドやってたのかよとバカにするかもしれない。でも、僕にとっては、志願兵として戦場に出ていくような一大決心だったのだ。24歳という年齢、つまりは2回目の年男になる年齢というものが、目の前に大きな壁として立ちふさがっており、「ここから生き方を変えよう、生まれ変わらねば」みたいな意識がとてつもなく強く絶対的なものであった記憶がある。2001年の話だ。


 僕はどうやら年齢に対する妙なこだわりがあるのかもしれない。20歳の誕生日に併せて運転免許をとったし、30歳のバースデーにはレーシック手術をした。それぞれの節目に行動範囲と可視範囲を広げたわけだ。まあ、500本安打から2000本安打までの節目をすべてホームランで決めた落合ほどではないが、その手のこだわりは持っているタイプなのだろう。だからまたこの先も、どこかの区切りで変化を強く求めるんだと思う、「変わらなければ!」と。ちなみに日本の男性の平均寿命は79.64歳、女性が86.39歳(2010年調査)だとか。あと何回このような転機があるのだろうか。


※参考
◆日本女性平均寿命86.39歳 やや低下、世界一は維持


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価格:420円(税込、送料別)

【内容情報】(「BOOK」データベースより)
現代の奇妙な空間ー都会。そこで暮らす人々の人生をたとえるなら、それはメリー・ゴーラウンド。人はメリー・ゴーラウンドに乗って、日々デッド・ヒートを繰りひろげる。人生に疲れた人、何かに立ち向かっている人…、さまざまな人間群像を描いたスケッチ・ブックの中に、あなたに似た人はいませんか。

【目次】(「BOOK」データベースより)
はじめに・回転木馬のデッド・ヒートレーダーホーゼン/タクシーに乗った男/プールサイド/今は亡き王女のための/嘔吐1979/雨やどり/野球場/ハンティング・ナイフ

春と地下鉄


 毎年と呼ばれる季節になると判で押したように思い出す、というか、僕が求めることがある。プロ野球の開幕や、飛び交う花粉や、意味のわからない強い風や、不自然に真新しいスーツや、義務的に設定される野外での飲み会などでは、僕の中では、春がきたぞという実感は湧ききらない。あとひとつ足りない、と僕は思う。そうだ、それは地下鉄だと。


 東京にいた頃、大勢の人間がそうであるように僕も電車に乗って出勤していた。そして、地面の中を走る地下鉄をよく利用した。電車の中ではほとんど居眠りして過ごす。朝起きて、電車に乗ってまた寝るという日課になる。やがて目的地にたどり着き、目を覚まし、地上に向かう。この二度目の目覚めのあと、到着駅で地上に降りたったときに感じる、あたたかさであったり、蒸し暑さ、肌寒さ、凍てつきというのもが、「日常」や「季節」を感じるバロメータの役割を果たしていた。地面の下という反自然な空間から、地上という場――たとえそれが大都会のコンクリート・ジャングルであったとしても――に戻ってこれたときに、僕が存在している世界というものを改めて真剣に体感していたのかもしれない。そして、その中でも春という季節の訪れが特別に強い存在感をはなっていた。冬眠明けの熊の次くらいに、僕は地下鉄の駅から出たときのあの春の光を待ち遠しく感じていたんだと思う。



 だから僕は今でも春という季節になると、東西線茅場町駅の3番出口から見上げた青空というもの、青い空というよりかは桜の花のような淡く儚い色合いのスカイブルーの空を毎年毎年、必ず思い出す。それが何年前の春だったのか思い出せないが、とにかく、これが僕にとっての「春がきました」というひとつの確固たる基準なのだ。だから、あの空の季節が今年もやってきたか、ということで春を認識する。でも近年、地下鉄に乗ることのない生活をしているので、春がやってきたという感覚が正直掴めないでいる。自家用車での生活のほうが、自然と自分とを隔てる壁は大きい。一度暗闇に浸り、その後に感じる空気こそが、僕に季節を実感させてくれたのだ。


 ただ、いまさらそんなことを嘆いてもしょうがない。金沢には新幹線こそやってくれど、地下鉄などおそらく僕の生きているうちはできないだろう。だから、春と地下鉄が非常に密接な関係にあるという法則は、ひとつの思い出としてどこかの戸棚の奥にでもそっと置いておくほかなかろう。


 さて、関東は桜がピークだとか。今年の東京の春、地下鉄の出口から見上げた空はどんな色をしているのだろうか?

『走ることについて語るときに僕の語ること』感想

 個々のタイムも順位も、見かけも、人がどのように評価するかも、すべてあくまで副次的なことでしかない。僕のようなランナーにとってまず重要なことは、ひとつひとつのゴールを自分の脚で確実に走り抜けていくことだ。尽くすべき力は尽くした、耐えるべきは耐えたと、自分なりに納得することである。そこにある失敗や喜びから、具体的な――どんな些細なことでもいいから、なるたけ具体的な――教訓を学び取っていくことである。そして時間をかけて歳月をかけ、そのようなレースをひとつずつ積み上げていって、最終的にどこか得心のいく場所に到達することである。あるいは、たとえわずかでもそれらしき場所に近接することだ(うん、おそらくこちらの方がより適切な表現だろう)。


 誰かが好きなことについて語るのを聞いているのは決して悪くない気分である。ましてや、その誰かの好きなことが僕の好きなことでもあれば、なおさらだ。僕らはこうやって価値観を共有し、世界観を深めていくのだろう。だから思うに、好きなことに対するこだわりや哲学やスタンスなんてものは、どんどん語っておくべきなのだ。それが的外れで、誰にも理解さなかったり、否定されたとしても、語ることは必要なことだと思う。そしてとにかく語ることによって、自分のこだわりやスタイルってものがよりソフィスティケートされ、より明確に形づいていくのだろう。


 ということで、“僕”の走ることについて。


 そもそも僕は、小・中学校の頃、短い距離を走るのは得意だったが、長い距離を走ることはめっぽう嫌いだった。少年野球では、練習前のウォーミングアップのランニング(グラウンド2週くらいなのだが)が一番嫌いな練習メニューだったくらいだ。また、野球もバレーもどちらかといえば瞬発力のスポーツで、集中力は一瞬ずつでいい。野球なんて何もしてない時間の方がはるかに長いし、バレーだって点が入るたびにプレーが途切れる。つまりまとめるとこうなる。野球やバレーはいちいち止まることが許されるスポーツで、ランは一度動きはじめると止まることはできない。ペースを上げるのも、おさえるのも、走りながら調整しなければいけない。つまり休み休みできるかできないかが、僕の中で好き嫌いを分ける重要なポイントなのだろう。


 また、走っていてよく思い出すのが、昔の部活で複雑なサインプレーの練習をしていたときの出来事。「頭が良くないとスポーツなんてできない!」と注意され、「ただまっすぐ走るだけの競技と違って、俺達は頭使って、考えてやるだよ!」みたいに激を飛ばされたわけさ。そこで自分たちはとても高度なチーム・スポーツにトライしているんだと優越感に浸った記憶がある。ところが、今となってみれば、それはとんでもなく的外れな話であって、傍から見ればただまっすぐ走るだけであっても、当の本人の頭は洗濯機のドラム並にフル回転なのである。現状タイムとペースに対し現状コンディションやこの先のコースの高低差などを考えながら走らなければいけない。そして、先にの述べた通り、立ち止まって考えるわけにはいかないから余計にパワーを使うし、想像以上に冷静な判断力や疲労している自分に鞭打つ強さが必要になってくる。


 まあそんな感じで「長い距離を走る」というスポーツが僕にとっていかに馴染みがなく、すんなりとフィットしないものだということがわかる。というか、最近わかってきたところだ。


 でもじゃあなんで、そんな向いてないことをわざわざやっているのかというと、他にすることがないからだということになる。もしかしたら、できれば野球やバレーをやりたいというのが本音なのかもしれない。でも、現実的にそれは難しい。人を集めたり、場所を確保したり、それらの都合を調整したりするのって、とても神経を使う。だから、個人の都合でアクションを起こすことができる走るというスポーツは、やむなく残された最後の切り札みたいな存在なのである、僕にとって。


 と、再度ネガティブな要因しか出てこないのだが、それでもやっぱり走っているのは多分僕が天邪鬼だからだろう。やる意味がないからこそ、やるし、やめない。このロジックは、とても納得がいく。やめる理由がたくさんあるから、やっているということに。まあ、こんなだから、本番レースを走っていて楽しくないと感じてしまうんだろう。でも、走るからには、このマイナス要因すら飲み込んで、納得のいくタイムを弾き出すくらいまでやってみたい。きっと、そうすれば、“具体的な教訓”を学び取ることができるはずだから。それが、今僕の走ることについて語ることができる一つの事柄である。


【内容情報】(「BOOK」データベースより)
もし僕の墓碑銘なんてものがあるとしたら、“少なくとも最後まで歩かなかった”と刻んでもらいたいー1982年の秋、専業作家としての生活を開始したとき路上を走り始め、以来、今にいたるまで世界各地でフル・マラソントライアスロン・レースを走り続けてきた。村上春樹が「走る小説家」として自分自身について真正面から綴る。

【目次】(「BOOK」データベースより)
前書き 選択事項としての苦しみ/第1章 2005年8月5日ハワイ州カウアイ島ー誰にミック・ジャガーを笑うことができるだろう?/第2章 2005年8月14日ハワイ州カウアイ島ー人はどのようにして走る小説家になるのか/第3章 2005年9月1日ハワイ州カウアイ島ー真夏のアテネで最初の42キロを走る/第4章 2005年9月19日東京ー僕は小説を書く方法の多くを、道路を毎朝走ることから学んできた/第5章 2005年10月3日マサチューセッツ州ケンブリッジーもしそのころの僕が、長いポニーテールを持っていたとしても/第6章 1996年6月23日北海道サロマ潮ーもう誰もテーブルを叩かず、誰もコップを投げなかった/第7章 2005年10月30日マサチューセッツ州ケンブリッジーニューヨークの秋/第8章 2006年8月26日神奈川県の海岸にある町でー死ぬまで18歳/第9章 2006年10月1日新潟県村上市ー少なくとも最後まで歩かなかった/後書き 世界中の路上で

【著者情報】(「BOOK」データベースより)
村上春樹(ムラカミハルキ)
1949年、京都生まれ、早稲田大学文学部演劇科卒業。79年『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受賞、82年『羊をめぐる冒険』で野間文芸新人賞、85年『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で谷崎潤一郎賞、96年『ねじまき鳥クロニクル』で読売文学賞、99年『約束された場所で underground2』で桑原武夫学芸賞を受ける。2006年、フランツ・カフカ賞フランク・オコナー国際短編賞、07年、朝日賞、坪内逍遥大賞、09年、エルサレム賞、『1Q84』で毎日出版文化賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)