希望にて



『空港にて』村上 龍


 ときとして村上龍を無性に読みたくなるときってあるよね。うん、あると思うんだよ。あのゴツゴツとしてふてぶてしく、乱暴で押し付けがましい下手な文章をね。こういうのって、特に5月の連休明けなんかには往々にして起こりうることだと思うんだよね。まあとにかくね、こういった経緯で村上龍を読んだんだよ。


 でね、この本はいかにも村上龍というトーンの話で、それでいていかにも短編集らしいまとまり方をしてたので非常に満足だったね、まじ。空港やコンビニや居酒屋なんかを舞台に、非常に偏屈な(まあ村上龍という時点で登場人物はみんな偏屈なのだが)主人公のモノローグが淡々と語られるっていうペシミスティックな話なんだ。誰しもこういう心理状態のときってあると思うんだよね。人が大勢集まっているところで、自分一人客観的かつ悲観的にその人間共を観察し、そんな中で「自分ってナンだろう」って思いを馳せることがね。この客観と主観のコントラストが良かったね。


 でもね、興味深いなと思ったのがね、村上龍のあとがきでは、こう書いてあるんだよ。

 この短編集には、それぞれ登場人物固有の希望を書き込みたかった。社会的な希望ではない。他人と共有することのできない個別の希望だ。


 どっこい驚いたね。この話の中で僕は希望の「き」の字も感じられなかったのにね。いやはや、僕はまだまだ村上龍を理解してないようだよ。多分、どんなにつらく、追い込まれ、孤独な状態であっても、希望は必ずあるということを言いたかったのだと思うよ、龍さんは。うん、だからね僕らもね、絶対希望だけは見失っちゃいけないと思ったね。希望だけはね。