書くことについて語るときに僕の語ること


 僕がこんなブログなんかをはじめて、それがここまで続いていることについて書いてみるよ。


 まあ理由は多々思い浮かぶけど、一番主だったものは、「人と喋るのが苦手」だということだね。とにかく僕は他人と会話をすることが嫌いで、新しい友だちをつくるとか、友だちの友だちと会話をしなければならないとか、久しく逢ってない人と逢ってまずなんて声をかければいいかなんてことを考えるだけで、とにかく偏頭痛が起きるくらい厭なんだよね。


 でもね、喋ることは嫌いでも、「思うこと」はそれ相応に発生するわけさ。そのはけ口として、喋る代わりに書くことに僕の思考の居場所のようなものを見つけたんだよね。だから、他人と会話することと書くことが反比例するような関係でバランスを保ちつつ、結果書くことをここまで続けられてるんだよね。



 でね、この発見はたいして重要ではないんだけど、最近一つ、ふと気づいたことがあるんだ。僕の中で何かを書くことの重要度が確立されて以来、他人との会話から逃げているということだよ。「重要なことは書いて伝えればいい。だから喋りはしない」みたいな。言い訳にしちゃってるだ。同じような理由で、よく喋る人ってのは得てしてまともな文章が書けないもんだよね。得てして。書いてる暇があったら喋って伝えればいいって優先順位が固まっちゃってるんだよ、きっと。


 つまりまとめるとだね、書くことも喋ることも同価値においてコミュニケーションをはかる必要があるってことだよ。どっちかが平均点以上にできればそれでいいってわけじゃないんだ。僕はもっと会話に積極的になるべきなんだろうなと痛感したんだ。最近の話だけどね。