“ともだち”は是か非か

◆なぜ今、ブログなのかjkondo's blog (2011.11/19)


(前略)
ともだちではない人との出会いやつながりこそが、人生の転機になります。
ともだちとのおしゃべりからは、連続的な日常しか生まれません。昨日までの延長です。
未来に向かって、新しい人生を切り拓いてくれるのは、社会との新しい接点です。
(後略)


 僕も常々こういうようなことを思ってたんだよね。つまりさ、自分が一緒にいて心地よいと思える“ともだち”と遊んでばかりいては、いつまで経っても成長しない、自分は変わらないってね。まさに「昨日までの延長です」ってやつだよ。でもまあ、それを明文化できなかったんだけどね。



 僕は大学生だったモラトリアムな期間には、気の合う人間としか時間を過ごさなかったんだよね、しかも徹底して。バンドをやってて、バイトも音楽スタジオだったから、とにかく自分の好きなことを分かち合える人間としか時間を過ごしてなかったわけさ。その分、幅広い音楽仲間ととても深く濃い時間を過ごせたわけだけど、それ以外の人種は敬遠してたんだよね。で、その後バンドをやめて就職することもなく過ごしたフリーダムな時間にいわゆる一般的な同世代の学生や社会人と接するようになって、世の中の見え方がガラリと変わったことを覚えてるよ。そして、何故今まで音楽以外の世界で生きる人間を敬遠してたのだろうかってもったいない気分になったんだ。


 簡単にまとめると、気の合う人間同士の会話ではお互いを知っている分「許し合う」ことや「認め合う」こと、まあたまには知っているからこその「忠告」「叱咤激励」なんてものもあるだろうけど、それは自分の奥行きや深さという「縦幅」への刺激なんだよね。で、まったく自分の知らないタイプの人間やこれまでに関わったことのない世代や人種、そして嫌いなタイプの人間は、人間としての幅、知識の幅といった「横幅」を刺激してくれるんだよね。だからね、普段から融通が利かなかったり、判断が柔軟じゃない人って、自分の居心地の良いコミュニティだけで生活してきたんじゃないかなって思っちゃうんだよね。まったく自分とはカテゴリの違う人種の人との付きあいって、びっくりするほど自分の視野を広めてくれるんだよ。それだけ世の中にはいろんな人間がいて、僕らは否応なくそのいろんな人たちと“うまく”やっていかなければいけないわけなんだよね。


 僕は最近、普段はなるべく自分の知らない、新しい世界を求めることをメインとして自分の「横幅」を広げていき、気の合う連中との付き合いのなかから「縦幅」を創りだしていこうと思ってるんだよね。まあ口で言うのは簡単だけどさ。でもとにかく、「ともだちではない人との出会いやつながりこそが、人生の転機になります」ってのは、今を生きるための一つのキーワードだろうね。


※参考
◆80年代からのともだち地獄は、ようやく折り返しの時期にきてるのかなはてな匿名ダイアリー (2011.11/19)