「孤独」と自分

■成人するあなたへ 鴻上尚史愛媛新聞 (2012.01/09)


 成人、おめでとう。でも、大人とはなんでしょう。賢いあなたは、年を重ねることと、大人になることは何の関係もないと見抜いているんじゃないですか?
 あなたの周りには、二十歳ををとうに過ぎているのに、少しも大人じゃない人が何人もいるはずです。
 大人と子供の違いはなんでしょう。二十歳を過ぎると、実にやっかいな問題にぶつかります。解決不可能な、どちらの結論を選んでも、間違っているんじゃないかと思えるような、正しい解決策が見えない問題です。
 でも、人生の問題とはそういうものです。大学入試まで、子供は「問題には必ず正解がある」と思い込まされていますが、もともと、人生の問題には、完全に正しい解答なんてありません。
 そういう時、子供は、自分で考えることをやめて、親や誰かのアドバイスや言いつけに従います。そうすれば楽ですし、責任も生まれません。子供とは、いつも誰かに手を引いてもらっている存在なのです。
 そして、二十歳を過ぎてもそうしている人は、絶対に孤独になりません。
 成人式でお酒を飲んで暴れている若者が、毎年話題になりますが、彼らは、本当の意味で一度も孤独になったことがない人達だと思います。
 孤独には、「本当の孤独」と「偽物の孤独」があります。
 一週間、誰とも話さなかったから孤独なのではありません。
 誰とも話さなくても、メールをやりとりし、インターネットで会話していれば、それは孤独ではありません。
 孤独とは、「一人で自分と向き合う」ことです。例えば、あなたがすてきなアドバイスを受けたり、役に立つ本を読んだりしても、一人でかみしめる時間がなければ、それはあなたのものにはなりません。今聞いた役に立つ情報を、右から左に伝えるだけでは、あなたのものになっていないのです。
 二十歳を過ぎて出会う解決不可能な問題は、親に判断を任せない限り、自分で解決するしかありません。が、「偽物の孤独」しか経験してない人は、アドバイスしてくれる人を求めて、ウロウロさまようのです。
 ただ、「本物の孤独」の時間を持った人だけが、うんうんとうなりながら問題に取り組むことができるのです。
 もし「本物の孤独」を経験したいと思ったら、あなたは、携帯電話の電源を切り、パソコンやテレビから離れて、あなただけの時間を持つ必要があります。その時間が長ければ長いほど、あなたは「本物の孤独」と出会い、自分自身と会話を始められるのです。
 「本物の孤独」はしんどいですが、あなたに暗闇を進んでいく勇気をくれます。一歩一歩、歩く時、あなたは初めて大人になるのです。


 愛媛新聞に掲載されたコラムだそうで、その紙面の写真がfacebookでシェアされてたんだ。とてもいい文章だと思ったんで、ここでも紹介してみるよ。


 僕が(まあ君もそうだと思うけど)、一番はっとさせられたのは、「孤独」をネガティなワードとしてではなく、「大人」になるために不可欠なキーワード、というよりむしろ、大人として生きていくため死ぬまでずっと向き合わなければいけない相棒のように明示していることだね。


 で、そこで思い当たったことがあるんだ。24歳くらいのときから、散歩の少し延長線上のような位置づけてジョギングをするようになったけど、別に大会に出るわけでもなく、もちろん定期的に走るわけでもなく、ただなんとなく「走る」というオプションを生活の中に取り入れ、以来ずっとそのオプションを放棄せずに持ち続けている理由がわかったんだよ。僕は、この一人で外を走ることで、「孤独」をつくりだし、そして「一人で自分と向き合」っていたんだ。一週間のうち、どこかで「孤独」な時間を設けようってね。それがむしろ息継ぎになって、怠惰な生活にも多少の張り合いが出てくるってね。つまり、東京いた後半6年ほど、一人で走り続けていた目的ってのは、「孤独」の創造であって、記録や鍛錬ではなかったってことだね。



 そしてさらに思い返してみると、走りはじめた頃ってのは、ちょうどバンドを辞めた直後なんだよ。結局大学もバンドもフリーター生活も辞めて、そしてやっと僕は無意識のうちに「孤独」の必要性を感じたのかもしれないね。本来なら成人式のときに気づくべき「本当の孤独」の重要さをね。


 そう考えると、この先も襟を正して「孤独」と、うまいこと付き合っていかないといけないなと考えさせられたよ。


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