脱走犯の思い出の変化


 どっかの囚人が脱走したってんでニュースになってるね。それで思い出したことがあるんで書いてみるよ。


 それは僕が6歳とか7歳くらいのときのことだよ。だから1983〜84年くらいかな。季節は冬だね。今くらいの時期か、もしくは暮れのクリスマス前だったかもしれないし、ややもすれば2月だったかもしれない。まあとにかく、雪が降り積もっていてとても寒い日、というか寒い季節のど真ん中だったことだけは確かだね。で、曜日は水曜日で間違いないはずさ。というのも、当時僕の家では水曜日は必ずお風呂に入る日であり、僕は風呂上り後に、うる星やつらのアニメを見てたんだよ。コタツに入って寝そべりながらね。だから、時間は19時35分とかそれくらいのはずさ。


 でね、何が起きたかというと、呼び鈴が鳴ったか、玄関の扉がガラガラと開いたか、まあとにかく誰かが家にやってきたんだ。んでね、僕はテレビを見ていたんだけど、その来客が玄関先で言った言葉が、居間にいる僕の耳まで聞こえてきたんだよ。「一晩泊めてください」ってね。



 といっても、鶴の恩返しみたいな色白の女の人なんかではなく、どっかの兄ちゃんなんだよ。当時の僕からすれば小学校6年生くらいのような記憶があるんだけど、その頃の僕にとっての年上の人間ってのは、親くらいの大人か、小学6年生くらいの上級生って2つの枠しかなかったから実際は高校生とかそれくらいなのかもしれないけど、とにかく知らない男の子がやってきたんだ。


 で、彼は当然のごとく凍えており、寒がっており、怖がってもいるようだったんだ。よくわけもわからないけど、困ってるようだったので、ばあちゃんは彼を家に上げてストーブの前に案内し毛布をかぶせて休ませ、おにぎりをあげて暖かい味噌汁も用意してあげたんだよ。


 僕はその間、一言も口をきかずに必死にアニメを見ているふりをしていたけど、アニメのことなんてひとつも頭に入ってこなかったね。彼はおにぎりをたいらげたかと思ったら、いつの間にか、そのままその場でころんと横になって眠ってしまったんだ。で、眠った隙に警察に電話をして、受話器を置くやいなやお巡りさんがやってきて、彼をどこかに連れていったんだ。警察が来ても、彼はまったく目を覚ます気配がなかったよね。それほどまでに完璧な眠りに落ちていたんだよ。その頃にはアニメのエンディングが流れており、一応の区切りがついたってことで、僕は2階に行って寝ることにしたんだ。つまりこれらの出来事はほんの30分かそこらの出来事なんだよ。


 で、まあ話しの流れからしてもう想像つくと思うけど、彼はどこかの少年院から脱走してきたらしく、ただ行き場もなく、しょうがなく僕の家の玄関まで来たらしいんだよ。僕の家ってのは、裏道の突き当りに近い場所に位置してるので、「ああ、この道、行き止まりか……。もうここの家の人に助けてもらおう」って思ったんだろうね。



 でだ。


 僕はここで言いたいことは、脱走のことでも、少年のことでも、アニメのことでも、脱走犯を家に入れることは当時はともかく今はキケンだよとかそういう教訓めいたことではないんだよ。ここまで書いてみて、そういえば昔にも、この脱走した少年のことをブログに書いたなと思いあたったわけさ。で、探してみたら、案の定そのエントリーがあって、2003年の12月、8年ほど前に書いてたんだよね。だけど、細部の事実が微妙に異なっているんだよ。つまりさ、今思い返してみると、冬の出来事だと記憶していることだけど、以前ブログに書いた文章によると、「10月か11月」となっているんだよ。でもさ、今の僕にとってみれば、この出来事ってのは冬ど真ん中で間違いないはずで、その雪の情景もありありと目に浮かぶんだよね。「10月か11月」なはずがないと。ただ、もちろん、どちらが正解かなんて、もう今となってはわからないんだけどね。


 多分僕は「脱走」というニュースを見たり聞いたりするたびに、この少年のことを思い出し、そして思い返すたびに、その細部にわたる記憶も変化していくのだろうなと感じたよ。何年後かには「うる星やつら」を見てたという記憶も「めぞん一刻」になってるかもしれない。そしてきっと君の記憶の中にも、事実とは違う「思い出としての思い出」というものが、いくつかできあがっちゃってると思うな。記憶なんてものは、都合のいいように塗り替えられるものだからね。

◆少年院脱走<Not Found (2003.12/07)


 少年院脱走についてオイラの思い出話をひとつ。

 それはオイラが小学校の1年とか2年の頃であったでやんす。当時オイラの家は水曜日には必ずお風呂に入っていたでやんす。オイラは7時からはじまるアラレちゃんとうる星やつらのアニメを見るため、早めにお風呂に入り、さっぱりした気分でそれらのアニメを見ていたでやんす。雨が降っている10月か11月の夜のことでやんす。
 すると誰かが玄関のチャイムを押したでやんす。当時のオイラにしてみれば、こんな時間に誰かがやってくるなんてことは考えられなかったでやんす。母親はお風呂に入っていたので、ばあちゃんが出ていったでやんす。その誰かは家の玄関のドアを開けると一言「一晩泊めてください」と言ったでやんす。「潤一のお友達かい?」とばあちゃんは訊いたでやんすが、その少年はもう一度念じるように「一晩だけ泊めてください」と繰り返したでやんす。

 オイラの実家は裏路地の行き止まりになったことろにあったでやんす。おそらくその少年は裏路地に逃げ込んだはいいが、路地が途切れ、引き返す気力がなくなったため、オイラの家のチャイムを押したんだろうと思われるでやんすよ。

 少年はズブぬれになっており、暖かい家の中にに入ると、それ用のスイッチをオンにしたかのようにブルブルと震えだしたでやんす。顔面は色素を抜いたように白くなっており、紫色の口唇だけが奇妙に目立っていたでやんす。ばあちゃんはバスタオルを差し出してやったが、それを肩からマントの様に羽織って体育座りをしただけで、濡れた髪や身体を拭くことすらしなかったでやんす。ばあちゃんは今おにぎりとあったかいみそ汁をあげるからね、と言って台所へ消えたでやんす。そしてオイラは少年とふたりきりになってしまったでやんす。ふたりとも髪はぬれているという共通点はあったでやんす。それこそ傍から見れば、友達が泊まりに来て、風呂に入ったあと一緒にテレビを見ているように見えたかもしれないでやんすが、置かれている状況がまったく違ったでやんす。オイラは恐かったので、必死にラムちゃんの理不尽なビキニ姿を見つめていたでやんす。しかし、視覚から得たその情報は脳には伝わっていなかったでやんす。脳は脳でこの状況を理解しようとパニックになっていたので、少年に関係のない事柄など脳は受付けないのでやんす。同じように少年は、テレビでうる星やつらをやっていることは知る由もなかっただろうと思うでやんす。あんなにおもしろいのに。

 ばあちゃんがおにぎりをつくって居間に戻ってきたときには、少年は体育座りの格好のまま横になって眠っていたでやんす。ちょうどその頃、母親が風呂から出てきて、自分の息子とばあちゃんの間に転がっている、死体のような人間を見て、せっかく暖まった身体も一気に冷めきってしまったに違いないでやんす。

 警察に電話した方がいいのではないか、ということになり連絡をすると、おまわりさんは光ファイバー並の速さで家にやって来たでやんす。
「おそらく○○の少年院を脱走した少年と思われます」とふたりの警察のうちのひとりが言ったでやんす。自分の家の中におまわりさんが入ってきたということに、この少年が来たときよりも大きな違和感を感じ、同時にどうしてかはわからないが不快感をも感じたでやんす。
 少年はこの世で一番恐怖であるはず警察がすぐそばにいるにも関わらず、冬眠中の野ウサギのように深く眠っていたでやんす。オイラはここで少年が目を覚ましたら、暴れだしたり、ピストルを撃ったりの乱闘騒ぎになるのではないかと心配だったでやんすが、少年の眠りはオイラの心配以上に深いものだったでやんす。一枚の絵のように微動だにせず、ただ横たわって呼吸していただけでやんす。その隣ではおにぎりと湯気をあげたみそ汁があったでやんす。
 オイラはそのあたりで、一応の納得をし、2階へ行っていつもより早い就寝についたでやんす。結局うる星やつらは最後まで見れなかったでやんす。それだけ短い間の出来事だったでやんす。

 次の朝、1階に下りてくると少年の姿はなかったでやんす。もちろんバスタオルもおにぎりも片付けられていたでやんす。警察もいなかったでやんす。それ自体が夢だったかのように消えていてしまっていたでやんす。オイラは木曜日の時間割をランドセルにつめ、学校へ向かったでやんす。

 結局オイラの家での出来事は、どの程度のニュースになったのか知らないでやんす。当時のオイラにとってはそんなことはあまり重要ではなく、一晩眠ればもう昼休みのドッチボールや放課後のファミコンのことで頭がいっぱいになっていたでやんす。