京都について〜僕に踏まれた町と僕が踏まれた町


 僕は元々(という言い方が適切かどうかわからないが)、京都に進学する予定だった。


 どういういきさつがあったか覚えていないが、高校のときずっと「志望校は立命館大学だ」と豪語していた。立命館に決めた理由は、発音したときの響きや字面がかっこいいからだろう、多分(もちろん超有名校だということもある)。そして、いつの間にか僕の中でのポスト京都という意識が強くなり、まわりにも「京都に行く」と言いふらすようになった。当時、僕の知らない人に僕を説明する一文として「元バレー部で、ユニコーンが好きで、大学は京都に行くらしい」と文句があったに違いない。



 とはいえ、まったく勉強なんてしなかったので、肝心要の学力は立命館など話にもならないくらい遠く及ばないもので、模試の判定は不動の「E」判定。でも先生は「あきらめずにがんばれ」みたいなことを言い、僕もそれを真に受けていた。が、もちろん結果は不合格。模試の判定が、テレビの天気予報のような胡散臭いものじゃないことをことを思い知った。でも冷静に考えれば「豚も木から落ちる」というくらいわかりきった結果だったので、僕自身もたいしてショックもなかったような記憶がある。ですよねー、くらいな。それで浪人することになり、そこそこ学力がついき、見事同志社に受かった。さっそく合格する前から目星をつけていたアパートに仮予約を入れ、いよいよ京都での生活というものが具体的に固まってきた。そして高校時代にバンドを組んでいた友人が現役で京都の大学に進学していたので、やっとバンドできるなという話も持ち上がってきた。万事が完璧に整ったわけだ。念願の京都行きと、バンド再開。


 でも、僕は京都には行かなかった。記念で受けた東京の大学に進学したからだ。東京の大学は受験日も合格発表も、関西のそれに比べて、遅い。本人すら忘れていた頃に、「もし君がそう望むなら東京に来てもいいけど」という通知を僕は受け取ったのだ。


 もちろん僕は迷った。でも僕の中で、京都から逃げたいという気持ちが、沸々と沸き上がってきた。現役時代あれだけ「京都に行く」と言っておきながら行けなかった。そして1年越しでやっと準備が整ったと思ったら、今度は東京行きのキップが目の前に現れた。多分、僕は京都に縁がないのだろうなと感じざるを得なかった。思い返せば、合格した同志社も希望した学部ではなかった。だから正直、達成感はなかった。京都はここまで僕を嫌うのかという気持ちの方が強かった。もちろん勝手な被害妄想なのだが。


 僕は、バンドを組むことになっていた友人を裏切るような形で東京に出た。その後何年かして、その友人のところ、つまりは京都に1度だけ遊びに行ったが、切り捨てられた京都、切り捨てた京都という負の印象の方が強かった思い出がある。正直居心地が悪かった。でも、先日の旅行では、そんな青春時代のちまちました感情などすっかり消え失せており、純粋に京都という伝統都市を楽しんだ。歳を取る良い一面のひとつだろう。細かいことを忘れてしまうという。



 もし僕が19歳のとき、望んだ通りに京都に行っていたら――と考えることは今でもたまにあるが、まったくイメージが沸いてこない。僕が京都でキャンパス・ライフやバンド活動をしている姿など、「もし」という条件下でも想像できない。ただ、僕はいつまでも、高校時代に抱いた京都という街への強い憧憬は忘れはしないだろう。