新聞販売所、インターネット、生き残る


 前回の続き。ミニコミの依頼元である新聞販売所の話をする。


 新聞の販売所というのは、新聞を配達している人の事務所で、いわゆる新聞社とはほとんど関係はない。大手自動車会社が、小さな工場に下請けを出してるのと似てるだろう。また、ここで働いている人というのは――誤解を恐れずにいえば、社会的なステージとしてはとても低い位置に属する。


 人生の訳アリの人間達がとりあえずお金を稼ぐために働いているような場所であり、ときには事件を起こしたような犯罪者・容疑者が一時的に身を隠すような場所でもあったりするとも聞いた。ので、辞めていく人間も多く、行方不明になったり、ある日突然警察がやってきて連れて行かれるケースだってある。こんな具合だから常時人手不足で、「不況にも強い」というような垂れ込みで恒久的に社員を募集しているのだ。ので採用にあたっても、その人物の過去の経歴など気にする余裕もなく、働きたいという申し出があれば、取り逃すべからずで採用する。別にその人が殺人犯でも未来の世界チャンピオンを目指すボクサーでもアル中手前のおっさんであってもだ。じゃあ、さっそく今日の夕刊から配達に行ってくれという具合に。



 だから当時僕は「朝日新聞に折り込まれるミニコミ紙をつくってます」なんて言うと、とても大きな企業でマスメディアの仕事をしているように誤解されたのだが、僕がつくっていたのはB4用紙に簡易印刷された2色刷りのミニコミ紙だ。いつも、そんなに感心しないでくれよと思いながら仕事の説明をしていた。


 新聞の一面では、いわゆるエリート記者たちが書いた日本海外問わずの難しい出来事が難しい文章で書かれている。そしてその紙面の間に、僕の書いた近所のラーメン屋さんやパン屋さんの記事を紙を折り込み、販売所のスタッフが安い給料で家々に配達する。そして、新聞本紙も僕の書いたミニコミも、そのほとんどの部分が読まれないまま捨てられる。新聞というメディアには、いろんな世界が凝縮されているなと僕は思っていた。



 ところで、そんな販売所での、配達員か所長さんとの短い話を今でも覚えている。


 インターネットは、今後どんどん普及していくとまず新聞が打撃を受ける、とその配達員か所長さんは言った。僕も、そうですね、と同意し、新聞じゃなくても同じニュースがネットで見ることができますからねと付け加えたが、それは否定された。「なんだかんだで新聞を購入する人は、そんなに減らないと思う。もちろん、増えはしないだろうが、驚くほど減りもしないだろう。ただ、俺が心配なのは、新聞に広告チラシを出そうとするお店や会社が減るってことだね。特にさ、こういうやつさ……」と言って、散らばってるチラシを無造作に手に取った。「こういうの、こういう新しいマンションができましたみたいなやつは減るだろうな。ガンっと。折り込みチラシは、作成して、印刷して、販売所に輸送して、折り込んでからその次の日に発送だ。時間がかかりすぎる。それにさ、いい紙使ってるだろ。高級感出さないといけないからな。コストも高いうえに、折り込みのお金までかかる。でもネットなら準備ができたらポチってすぐに宣伝できるし、コストもかからない」確かに新築マンションのチラシというのは、よく見かけたし、これ見よがしに品のある仕上がりだからコストも高いはずだ。


 あれからもう7年くらい経つだろうか。なんだかんだで、今でも高級感あるマンションのチラシは見かけるような気がする。つまりはこういうことだ。新聞というメディア自体が、読む読まないに関わらず人に一定上の価値を感じさせるものなのだ。プロ野球の親会社も新聞各社はしぶとく生き残っている。だから、今後も廃れはしないだろう。ちなみに僕も新聞を読むのが好きである。読むというより目を通す感覚に近いのだが、それでも新聞がないとさみしく思う。なかなか妙なメディアだなと、最近つくづく感じる。