はてなブログに引越します


 はてなはてなブログをリリースし、一部の限定公開後、一般公開されると僕は待ってましたと言わんばかりにはてなブログのアカウントを取得していたのです。とりあえず話題のはてなブログの枠はおさえようと。でも、今使用している「はてなダイアリー」も随分長いこと使ってて愛着もあり、このままダイアリーを使用し続けるのか、話題のブログ側に鞍替えするのかという判断に迷うことになったわけです。また、鞍替えするにしてもどのタイミングで切り替えるかなど、どうしたものかと考えあぐねいているうちに、そもそものはてなブログ」の存在自体を綺麗サッパリ忘れていたのでした。むしろ、悩むのがめんどうなので忘れてしまおうとした、と言った方が正確かもしれません。人はときとして都合よくものを忘れることもできます。


 そして、忘れるのは一向に構わないのですが、本来なら3月の末の時点で思い出すべきだったわけです。というのも、HP開設10周年としての先の4月1日でぱちっと切り替えるのが、とてもスマートでクールな鞍替えのタイミングだったからです。「10年経ちました。そして今日から“はてなブログ”に移行します!」。どう考えてもこれがベストです。ただ残念ながら、4月の中頃、4月分を5回くらい更新した後という、なんとも中途半端な時期にはてなブログの存在をふと思い出してしまい、そして今度はどうしても移行したいという衝動にも駆られてしまったのです。今度はさて、いつどういうタイミングで、どういう意味づけて移行しようかで悩むこととなってしまいました。


 ダイアリー側の4月分のエントリーはすべて削除して、ブログ側に強制移行することも考えたのですが、4月はダイアリーとブログの2ヶ所で更新をして、5月1日より完全にブログ側のみの更新にすることにしました。もちろん、思い出したその時点で変更すれば良かっただけの話かもしれませんが、区切りを中途半端な日にちにしたくないという、妙な潔癖症な性分のせいで、あれこれ頭を悩まし、無駄な作業まですることになってしまいました。


 とうことで、次回から更新は「はてなブログ」のみを使うことにします。よろしく。


◆新しいNot Found

新聞販売所、インターネット、生き残る


 前回の続き。ミニコミの依頼元である新聞販売所の話をする。


 新聞の販売所というのは、新聞を配達している人の事務所で、いわゆる新聞社とはほとんど関係はない。大手自動車会社が、小さな工場に下請けを出してるのと似てるだろう。また、ここで働いている人というのは――誤解を恐れずにいえば、社会的なステージとしてはとても低い位置に属する。


 人生の訳アリの人間達がとりあえずお金を稼ぐために働いているような場所であり、ときには事件を起こしたような犯罪者・容疑者が一時的に身を隠すような場所でもあったりするとも聞いた。ので、辞めていく人間も多く、行方不明になったり、ある日突然警察がやってきて連れて行かれるケースだってある。こんな具合だから常時人手不足で、「不況にも強い」というような垂れ込みで恒久的に社員を募集しているのだ。ので採用にあたっても、その人物の過去の経歴など気にする余裕もなく、働きたいという申し出があれば、取り逃すべからずで採用する。別にその人が殺人犯でも未来の世界チャンピオンを目指すボクサーでもアル中手前のおっさんであってもだ。じゃあ、さっそく今日の夕刊から配達に行ってくれという具合に。



 だから当時僕は「朝日新聞に折り込まれるミニコミ紙をつくってます」なんて言うと、とても大きな企業でマスメディアの仕事をしているように誤解されたのだが、僕がつくっていたのはB4用紙に簡易印刷された2色刷りのミニコミ紙だ。いつも、そんなに感心しないでくれよと思いながら仕事の説明をしていた。


 新聞の一面では、いわゆるエリート記者たちが書いた日本海外問わずの難しい出来事が難しい文章で書かれている。そしてその紙面の間に、僕の書いた近所のラーメン屋さんやパン屋さんの記事を紙を折り込み、販売所のスタッフが安い給料で家々に配達する。そして、新聞本紙も僕の書いたミニコミも、そのほとんどの部分が読まれないまま捨てられる。新聞というメディアには、いろんな世界が凝縮されているなと僕は思っていた。



 ところで、そんな販売所での、配達員か所長さんとの短い話を今でも覚えている。


 インターネットは、今後どんどん普及していくとまず新聞が打撃を受ける、とその配達員か所長さんは言った。僕も、そうですね、と同意し、新聞じゃなくても同じニュースがネットで見ることができますからねと付け加えたが、それは否定された。「なんだかんだで新聞を購入する人は、そんなに減らないと思う。もちろん、増えはしないだろうが、驚くほど減りもしないだろう。ただ、俺が心配なのは、新聞に広告チラシを出そうとするお店や会社が減るってことだね。特にさ、こういうやつさ……」と言って、散らばってるチラシを無造作に手に取った。「こういうの、こういう新しいマンションができましたみたいなやつは減るだろうな。ガンっと。折り込みチラシは、作成して、印刷して、販売所に輸送して、折り込んでからその次の日に発送だ。時間がかかりすぎる。それにさ、いい紙使ってるだろ。高級感出さないといけないからな。コストも高いうえに、折り込みのお金までかかる。でもネットなら準備ができたらポチってすぐに宣伝できるし、コストもかからない」確かに新築マンションのチラシというのは、よく見かけたし、これ見よがしに品のある仕上がりだからコストも高いはずだ。


 あれからもう7年くらい経つだろうか。なんだかんだで、今でも高級感あるマンションのチラシは見かけるような気がする。つまりはこういうことだ。新聞というメディア自体が、読む読まないに関わらず人に一定上の価値を感じさせるものなのだ。プロ野球の親会社も新聞各社はしぶとく生き残っている。だから、今後も廃れはしないだろう。ちなみに僕も新聞を読むのが好きである。読むというより目を通す感覚に近いのだが、それでも新聞がないとさみしく思う。なかなか妙なメディアだなと、最近つくづく感じる。

ミニコミ紙、語るべき言葉、ハッピー・ワード


 昔、新聞折り込みのミニコミをつくっていたときの話をする。


 町の中にあるラーメン屋さんとか定食屋さんとか花屋さんとかに取材をして、「このラーメン屋さんは、昔ながらの味わいと、ご主人の親しみやすい笑顔が特徴。地域密着、今年でなんと30年目をむかえる!」みたいな文章をつらつらと書いて(800字くらいだったと記憶している)、1ヶ月に2つのお店を紹介するのだ(それが3ヶ所くらいあったはず)。紙面にはクーポンを付けるので、読者はメリットが大きい。お店は任意のクーポン分の負担はあるが、無料で店紹介してもらえる。紙面作成の費用は新聞の販売所が負担するが、購読者へのサービスの一環として考えれば悪くはない。そして僕らは製作依頼受け、毎月紙面をつくる。ウィン・ウィン・ウィン・ウィンの関係が成り立っている。



 作業工程はこんな感じだ。


 まず、取材に行ってきますと言って事務所を出て、電車か原付バイクで該当の町に行き、ふらふら歩く。最近よくある町をぶらぶら歩く番組のように、本当に適当に歩きながら取材する店を探すのだ。で、めぼしいお店を見つけたら、遠慮なく店に入って取材依頼をする。アポなしってやつだ。もちろん最初は煙たがれる。でも紹介は無料である旨を伝えると、両者の間に立ち込めていたモヤが一気に晴れてくる。そこから印刷の部数や過去の実績を伝え(派手に宣伝してほしい店だったら大袈裟に伝え、遠慮がちなお店だったらとても小さな記事ですと伝えていた)、適当なメリットを述べると、まああまり断る理由がないのでたいていの場合は了承してもらえる。そもそもタダで宣伝してもらえるほど、おいしい話なんてない。どんなお店、どんな企業だって告知手段に頭を悩ましているのだ。交渉が成立したら、もうそこからさっそく取材に入る。取材といってもたいしたことはしない。いつから営業してるのかとか、お店のモットーは何かとか、どんなお客が多いかとか、この先の目標は何かとか、当たり障りのないことを質問する。ただ、相手は取材慣れしていない「町の飲食店のおじさん」だったりするので、どのお店であっても似たような返答が戻ってくる結果になる。お客さんに喜んでもらえるのが一番うれしいとか、若い人からお年寄りまでいろんな人が来てくれていますとか。違うのは「いつから営業してるのか」ということくらいで、あとの回答はスーパー・マーケットに並ぶホウレン草のように似たりよったりだ。



 ただそれは、彼らが適当に何の考えもなく店を経営してるというわけではない。単に語るべき言葉を持っていないというだけである。思いはあっても、言葉が見つからないってやつだ。いきなり取材にこられたら、そりゃ芸能人や政治家でもない限りたいした返答などできないだろう。そういうことだ。


 で、店主が「もっといいこと言わないとな」という、もどかしさを感じはじめると、まず間違いなく、「じゃ、何かつくるんで食べて行きますか?」と言ってくる。自分の得意な分野に話をもっていくわけだ。僕ももちろん、ではお言葉に甘えまして、と料理をいただくことにする。もちろん、タダでだ。


 そして不思議なことに、話を聞いてから飯を食うと、なんとなく言わんとしていることがわかることがある。「お客さんに喜んでもらえるのが一番うれしい」というステレオタイプな言葉でも、実際にその店の飯を食ってみると、それぞれ微妙な温度差やその店にフィットする別の表現というものが見つかるわけだ。僕はその店オリジナルのモットーを見つけ出し、文章にできるように努力していた。そもそも、いろんなお店の記事を毎月書いているわけだから、インタビューの言葉尻だけで記事を書いていては、毎月毎月どの店だって同じ紹介文になってしまう。違う文章にする術のようなものを、いつの間にか身に着けていた気がする。まあ、タダでご飯をもらってるわけだから、それくらいしてあげないといけない気持ちがあったのかもしれない。



 一方で、たいして美味しくないお店だって少なくはなかった。むしろ食べてみて、よく潰れないで継続できてなと不思議に思うお店だってあったくらいだ。それでも当然「不味い」などと書くことはできないし、口にすることもない。無理やりでも良いお店だという原稿を書かなくてはいけない。そういったケースの対処法としては、「昔ながら」とか「地域密着」という魔法の言葉を多用するのが鉄板だった。何とでも解釈されるし、どんな人でも安心し、あったかくなれるハッピー・ワードなのだ。だから、今でもこういった売り文句を見ると、語るべき特徴のないお店か、コピーに手を抜いているのか、どちらかだと思ってしまう(というか、実際にそうなのだろう。ご注意ください)。


 僕がこの仕事で気づいたことは、言葉を持っていないと語るべきことができないということと、しかし、言葉だけがすべてではないということ。そして、よく見かける言葉というのは――それがよく目にすれば目にするほど、チープだということだ。

『竹下佳江 短所を武器とせよ』感想


 僕が最初、この竹下というセッターを観たとき「ほほう」と目を奪われはしたが、正直好きになれなかった。上手いけど雑だとか、攻撃的だけど無駄が多いとか、中学レベルの知識でダメ出しをしながら観戦していた記憶がある。2003年のワールドカップの頃だろうか。で、その後、日本代表として脚光を浴びたアタッカー陣やヒロインとなったリベロ陣、強いては監督も入れ替わる中、セッターだけはずっと竹下で、「いつまでこのセッターに頼ってんだよ」と、意味もなく閉塞感を感じたりもしていた。


 でも、これらは裏返すと、全部ある意味、嫉妬心なんだと思う。


 まず僕自身、中学の頃セッターをやっており、「(ダントツに)背が低い」という形容詞がついてまわる選手だった。加えて、チーム・カラーも速攻中心コンビ大好きで、オープン攻撃もすべて平行トスという超スピード型の攻撃組み立てだった。つまり僕がやっていたバレーというものが竹下選手のスタイルと類似していたのだ。類似などと偉そうなことは言えないか、僕の理想形が竹下選手だったと言うべきか。だから「羨ましい」というのが根底にあり、最初はおもしろく感じなかったのだろう。「なんだ、俺がやりたかったことをやってる女がいるぞ」と。


 ただ、ずっと竹下のトスを観ていると、やはり感心せざるを得ないわけだ。そして、当時の僕と決定的に違い、竹下選手は決して感情を表に出さない。感情を顔に出さないというプレイ・スタイルは、セッターとして絶対的にカッコイイと思う。1つの得点や失点にいちいち一喜一憂しているようなセッターなど見るに耐えない。そしていつの間にか、これはすごいセッターだな、理想的なセッターだなと確信してしまっていた。


 で、今いろいろ調べてみてはじめて知ったのだが、竹下選手は僕と同じ学年ではないか(もっと年下だと思っていた)。そんな選手が、ロンドン五輪を目指し、日本代表としてトスを上げるわけだから俄然応援していこうと思った。ちなみに「ロンドンオリンピックバレーボール世界最終予選」は5月開催だとか。バレーボールのテレビ放送は、どの局も過剰な演出で嫌気が指すのだが、選手たちには関係ない。割りきって声援を贈りたいと思う。


◆2012ロンドンオリンピックバレーボール世界最終予選


【内容情報】(「BOOK」データベースより)
身長わずか159センチ。一時引退に追い込まれたこともあった。彼女はいかにして、絶望を希望へと変えたのか?-。

【目次】(「BOOK」データベースより)
第1章 主軸ー2011年夏ー女子バレーとなでしこジャパン/第2章 栄光ー2010年世界選手権ー銅メダルの闘い/第3章 開花ー最高峰の技術ーマイナスをプラスに転じて/第4章 屈辱ーシドニー五輪世界最終予選ー居場所を探して/第5章 萌芽ー子ども時代からNEC-才能の作られ方/第6章 再生ーワールドカップ2003-女子バレー人気の再燃/第7章 経験ーアテネ五輪ー初めてのオリンピック/第8章 躍動ー北京五輪ー主将としてチームを率いる/第9章 未来ーロンドン五輪への助走ー無私のアスリート

【著者情報】(「BOOK」データベースより)
吉井妙子(ヨシイタエコ)
スポーツジャーナリスト。宮城県生れ。朝日新聞社に13年勤務した後、1991(平成3)年からフリーとして独立。『帰らざる季節 中嶋悟F1五年目の真実』で1991年度ミズノスポーツライター賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

京都について〜僕に踏まれた町と僕が踏まれた町


 僕は元々(という言い方が適切かどうかわからないが)、京都に進学する予定だった。


 どういういきさつがあったか覚えていないが、高校のときずっと「志望校は立命館大学だ」と豪語していた。立命館に決めた理由は、発音したときの響きや字面がかっこいいからだろう、多分(もちろん超有名校だということもある)。そして、いつの間にか僕の中でのポスト京都という意識が強くなり、まわりにも「京都に行く」と言いふらすようになった。当時、僕の知らない人に僕を説明する一文として「元バレー部で、ユニコーンが好きで、大学は京都に行くらしい」と文句があったに違いない。



 とはいえ、まったく勉強なんてしなかったので、肝心要の学力は立命館など話にもならないくらい遠く及ばないもので、模試の判定は不動の「E」判定。でも先生は「あきらめずにがんばれ」みたいなことを言い、僕もそれを真に受けていた。が、もちろん結果は不合格。模試の判定が、テレビの天気予報のような胡散臭いものじゃないことをことを思い知った。でも冷静に考えれば「豚も木から落ちる」というくらいわかりきった結果だったので、僕自身もたいしてショックもなかったような記憶がある。ですよねー、くらいな。それで浪人することになり、そこそこ学力がついき、見事同志社に受かった。さっそく合格する前から目星をつけていたアパートに仮予約を入れ、いよいよ京都での生活というものが具体的に固まってきた。そして高校時代にバンドを組んでいた友人が現役で京都の大学に進学していたので、やっとバンドできるなという話も持ち上がってきた。万事が完璧に整ったわけだ。念願の京都行きと、バンド再開。


 でも、僕は京都には行かなかった。記念で受けた東京の大学に進学したからだ。東京の大学は受験日も合格発表も、関西のそれに比べて、遅い。本人すら忘れていた頃に、「もし君がそう望むなら東京に来てもいいけど」という通知を僕は受け取ったのだ。


 もちろん僕は迷った。でも僕の中で、京都から逃げたいという気持ちが、沸々と沸き上がってきた。現役時代あれだけ「京都に行く」と言っておきながら行けなかった。そして1年越しでやっと準備が整ったと思ったら、今度は東京行きのキップが目の前に現れた。多分、僕は京都に縁がないのだろうなと感じざるを得なかった。思い返せば、合格した同志社も希望した学部ではなかった。だから正直、達成感はなかった。京都はここまで僕を嫌うのかという気持ちの方が強かった。もちろん勝手な被害妄想なのだが。


 僕は、バンドを組むことになっていた友人を裏切るような形で東京に出た。その後何年かして、その友人のところ、つまりは京都に1度だけ遊びに行ったが、切り捨てられた京都、切り捨てた京都という負の印象の方が強かった思い出がある。正直居心地が悪かった。でも、先日の旅行では、そんな青春時代のちまちました感情などすっかり消え失せており、純粋に京都という伝統都市を楽しんだ。歳を取る良い一面のひとつだろう。細かいことを忘れてしまうという。



 もし僕が19歳のとき、望んだ通りに京都に行っていたら――と考えることは今でもたまにあるが、まったくイメージが沸いてこない。僕が京都でキャンパス・ライフやバンド活動をしている姿など、「もし」という条件下でも想像できない。ただ、僕はいつまでも、高校時代に抱いた京都という街への強い憧憬は忘れはしないだろう。

カフカ著『城』感想


 フランツ・カフカの『城』を読むのはこれで3回目か4回目になる。カフカの代表作といえば、朝起きたらなぜか巨大な虫になっていたという理不尽さが宇宙級の『変身』で、本当に衝撃的だった。キテレツな舞台設定だけでなく、物語全体に漂う、閉塞感、息苦しさ、不条理さ――ユダヤ人の歴史を象徴するような暗黒の運命というものをずっしりと重く感じ、強烈なインパクトだったことを覚えている。


 ということで、さらなるカフカの世界を堪能すべく手にとったのが、この『城』であり、これまでに何度も再読しているのだが、一度として最後まで読み切ったことはない。だいたい1/4かせいぜい1/3あたりで、ページをめくる手が止まってしまい、一応栞だけ挟んでそのまま放置してしまう。つまり、まったくおもしろく感じ無いのだ。


 そう言えば昔、僕が読んでおもしろいと感じたも本は妹にも貸して同様に好評を得ていたことがあった。ので、過去最高傑作としてライ麦畑でつかまえてを、満を持して推薦したのだが、次の日くらいにあっさりと「これはよくわからん」と言って、突き返されたことがあった。読書のおもしろさというものは、まったく人それぞれで、味覚にも似た予測不可能な部分があるということだ。だから、どれだけ名作と呼ばれる作品であっても、どうも馴染めないものや、その世界に浸れないものがあって当然。特に国や文化や宗教や時代が違うとなればなおさらなので、無理して読もうとか、おもしろいと感じなければいけないなんて価値を決めつける必要なんてないわけだ。ので、もう『城』を読むのは諦めようと思う。少し残念な気もするが。


【送料無料】城改版

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価格:882円(税込、送料別)

【内容情報】(「BOOK」データベースより)
測量師のKは深い雪の中に横たわる村に到着するが、仕事を依頼された城の伯爵家からは何の連絡もない。村での生活が始まると、村長に翻弄されたり、正体不明の助手をつけられたり、はては宿屋の酒場で働く女性と同棲する羽目に陥る。しかし、神秘的な“城”は外来者Kに対して永遠にその門を開こうとしない…。職業が人間の唯一の存在形式となった現代人の疎外された姿を抉り出す。

【著者情報】(「BOOK」データベースより)
カフカ,フランツ(Kafka,Franz)
1883-1924。オーストリア=ハンガリー帝国領当時のプラハで、ユダヤ人の商家に生る。プラハ大学で法学を修めた後、肺結核で夭折するまで実直に勤めた労働災害保険協会での日々は、官僚機構の冷酷奇怪な幻像を生む土壌となる。生前発表された「変身」、死後注目を集めることになる「審判」「城」等、人間存在の不条理を主題とするシュルレアリスム風の作品群を残している。現代実存主義文学の先駆者

前田敬作(マエダケイサク)
1921-2003。大阪・摂津生れ。東京帝大独文科卒。京都大学名誉教授。ゲーテカフカトーマス・マンなどの訳書がある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)