その老人が障害を持つ少年に席をゆずらなかった理由

◆"知的障害者"は合法的に犯罪が許されるのだろうかはてな匿名ダイアリー


「"障害者"だからしかたないよ」という言葉が響いた。
「言ってもわからないんだから仕方ないじゃない」「可哀想な人だから許してあげようよ」


"障害者"は合法的に犯罪を犯すことが許されているのだろうか?
(略)


社会に出る以上、どんなハンデを背負っていても社会のルールは守らなくてはならないし
ルールを破ったならばルールを知らなかったとしても罰せられなければならない。
(略)


人間は誰だって欠点を持っている。
障害じゃなくたってコミニュケーションが苦手だったりするのはざらにある。
(略)


知的障害者は確かに生まれながらに不本意なハンデを背負っている。
しかしそのハンデが言い訳になるような社会のままでは差別もなくならない。


 昔、僕が都電を利用していた頃の話。僕が都電に乗っていると1人の知的障害者らしき小学生が乗ってきた。そして、優先座席のところへすたすたと行き、「座らせてください!」と大声を発した。そこにはおじいちゃんが座っており、少し驚いた様子で、「え?」と少年に聞き返した。少年は「座らせてください」と復唱した。そして、間髪いれずに「障害者なので座らせてください!」と繰り返した。


 すると老人は、少し怒った風に「私も障・害・者!」と返した。杖を持っていたので、足が悪いとかそういう障害者なのだろう。その意を汲み取ったのかどうかはわからないが、少年は席をゆずってもらうことをあきらめたかのように、そのまま車両のうしろの方へ進んでいった。僕はなぜだか見てはいけないものを見てしまったように感じ、とても嫌な気分になった。


 多分少年は「電車に乗ったら、自分は障害者だと言って席をゆずってもらいなさい」と親から教えてもらっているのだろう。そして少年はその教えを忠実に守っただけに過ぎないのだと思う。しかし、だ。障害者だからといってすべてがゆるされるわけではないのだ。社会にはさまざまなルールがあり、そしてそれと同じ数だけ例外がある。


 いつか、「知的障害。それも立派な個性」みたいなコピーをどこかで見かけたことがある。とてもいい考え方だなと思った。しかし、障害を個性として認識するのであれば、同時に障害という名の免罪符も放棄することになるだろう。知的障害も単なる個性のひとつでしかないのだから。


 もう今の世の中、誰だって精神的に病んでいたり傷を抱えていたりと、なんらかの「ハンデ」と呼べるものを背負っている人ばかりである。このままでは誰だって何をしようとゆるされる状況下になりつつあると言っても過言ではないように思えるのだ。現に人を殺してもまずは精神鑑定という逃げ道が用意されるわけだし。


 「くさいものにはフタ」の原理で、先送りされているこの障害者と犯罪の問題。もしかしたら、痴漢の冤罪よりも深刻なのかもしれない。


※参考
◆「服役囚の4分の1が知的障害者」が意味するもの<ビデオニュース・ドットコム