噂のレーシックを受けてきた


 2007年9月13日、30歳の記念に噂のレーシックを受けてきた。視力が回復するというアレのことだ。平日の夕方にも関わらず、ロビーには軽く20人は超えるほどの人間がいた。押しも押されぬ大人気ぶりである。


 手術自体は10分程度。まあ恐くなかったといえば嘘になるが、チャカチャカとあっという間に終わった。何の痛みもたいした苦痛もなかった。その前後に直前の説明だとか検査だとか、麻酔や化膿止めの薬が効くのを待つ時間がどっぷりあり、要する時間は計2時間くらい。15時に予約した僕は17時くらいに解放された。


 んでだ。


 帰りの電車に乗っていると、どうも右目がしょぼしょぼするのだ。10分くらい電車に乗って、途中の乗り換え駅でたまらず目薬をさす。しかし一向に痛みは治まらず、中野駅から自宅までは、半目の状態かつ涙と鼻水を流しながら競歩で駆け抜けた。顔はしわくちゃだっただろう。帽子を被っていっただけでも正解だったと思う。


 で、家についてからは、まったく目が開けられなくなった。仕方ないので寝ようかと思うが、手術後4時間は寝ると目が乾いてしまうという理由で、睡眠をとってはいけないのだ。おかしいな、こんな話は聞いてないな。誰も「手術後は多少痛い」とも「かなり痛い」とも言ってなかった。なるほど、紹介料をもらうために、「苦」である部分は告げないようにしているのかもな(この手術は、友達を紹介すると、紹介した側にもされた側にもキャッシュバックが生じる仕組みになっている)。などということを勝手に自問自答するが、何の解決にも至らない。


 もうどうしようもないので、妹に電話してとにかく何か食い物と飲み物を買ってくるように頼んだ。これで1人暮らしだったら、地獄だったなと思う。


 んで、この日は奇しくも僕の誕生日だったため、その旨のメールが何通か来たわけである。僕は決死の思いで、携帯を手に取り、開き、小さなボタンをプッシュすることを繰り返し受信トレイまで辿り着き、新着メールをチェックする。よし、メールを読もう。最後に勇気を振り絞って、目を開く。そこには細かい文字が並んでいる。


「おめでとう」


 いや、まったくおめでたくない。インディー・ジョーンズが最後に開けた宝箱に「ハズレ」の札が入っていたら、多分こんな気分になっていたのだろうと思う。


 例えるなら目玉の中にずっと折れたシャープペンの芯が突き刺さってるような感覚なのだ。間違いなく僕が生きてきた30年の歴史の中でワーストの時間帯だった。目薬をさす際にまぶたを持ち上げる行為でさえ、泥水をもすする覚悟で精一杯プレーせねばならないのだ。尋常じゃない痛みだ。自分の目玉を分離させた鬼太郎に憧れさえ覚えた。


 翌朝になるとだいぶ痛みは引いていて、やっと目を開けれるくらいにはなった。よくよく見てみると、もらった目薬の中には鎮痛剤もあった。なるほどこいつかと、さっそくさしてみると、3秒で痛みはひいたが、1時間もするとまた痛みが戻ってきた。どうしようもないなと、翌日検査に向かうことにした。


 で、検査してもらうと、膜に傷がついていたらしい。要はイレギュラーだったのだ。まあ、詳しいことは省くが、僕はこの状態が普通でないことに幾分ほっとした。


 応急処置として保護用のコンタクトレンズをしてもらい、何となく事なきを得た感じだ。まあ、若干違和感は感じなくもないが、初日に背負った痛みに比べればなんてことはない。


 何だかんだあったが、視力は2.0に回復したそうだ。まあ、こんなレーシック手術を自分も受けてみたいという人はぜひご一報を。紹介料として、僕に3万円ほどが支給されますのでよろしく。