コンビの限界というもの


 とにかくせつない。そして心に軋むような痛さを感じながら読み続けなければいけない。特に、冒頭の引用からして99%のせつなさである。

「実はいつくるかと心配してたんだ」
「何がくるんだ?」
「きみの神経にさわる日がさ」
ニール・サイモンおかしな二人」)


 これは岡嶋二人というコンビ作家の、まあいわゆる自伝のようなもので、しかし描かれているのは一方の作家からのみの想いがつづられたものである。


 まあしかし、コンビやグループなんてものは、得てしてこういう運命を辿るのだろうなという衰退の様子が生々しく描かれている。最初は、お互いの足りない部分を補い合い、そして自分にしかない個性で刺激し合いながら作品を創り出してきたはずの関係が、やがて足りない部分に歯がゆさを感じ、個性にストレスを感じるようになり、いつの間にか、お互いがお互いのフラストレーションの根源になっているという事態に陥っている。まあ、たいていの人間関係では、こういった忌々しき事態に陥ることがあるのだと思う。まあ、人間の悩みなんて、ほとんどが「人間関係」というように、こういった妙な力関係や、気まずい利害関係は、誰にでも起こりうることだと思う。その辺がとても生々しく感じた。


 また、もちろんこれは僕の偏見であることを前提としてだが、この岡嶋二人の関係性を見ていると、昔、古畑任三郎スペシャルで、「笑うカンガルー」とサブタイトルがつけられた事件に登場した数学者のコンビを思い出す。


 1人は天才数学者、もう1人(陣内孝則、そして犯人役)は数学に関しての知識はさほどではないが、マスコミに対してスポークスマン的存在というコンビ。当然ながら、数学者として机に向かってこつこつ実践している方は、ちゃらちゃらしている相方にストレスを感じるわけである。コンビでありながら、2人の仕事量がイーブンでないと。もちろん岡嶋二人が、こんなアンバランスなコンビ作家であったなどとは思っていないが、コンビで1つの顔を持つということは、とてつもなく難しいことなんだろうと思うのである。


 ちなみに、この本の中には、一部、作品のネタバレも含まれているので、最低でも、『99%の誘拐』『そして扉は閉ざされた』『クラインの壺』くらいは、読んでおきたいところかな。