太宰の暮らした疎開の家に行ってきた。


 めんどくさいので省略するが、青森に行ってきた。青森といえば太宰である。ということで仕事を終わらせて、太宰治記念館である斜陽館に向かった。


 今「向かった」と一言で済ませたが、青森からは弘前に出て、五所川原で電車を乗り継ぎ金木という駅まで約2時間かかる。帰りは新幹線の八戸まで、約4時間。もう移動だけで陽が傾くくらいのちょっとしたトリップである。太宰ともあろう作家の記念館なら青森市内にでもつくれば多くの人が訪れ、さぞかし便利なのにと思うのだが、この金木こそが太宰の生まれ育った町で、この斜陽館こそが太宰の生家なのである。だから時間をかけて訪れる価値もある。僕もこの日は、太宰記念館のために費やすつもりでいた。


 で、今日はもう疲れているので斜陽館のことはまた今度書くとして、その帰りに寄った「太宰の暮らした疎開の家」について。ここは通称「新座敷」と呼ばれ、斜陽館から5分ほど歩いたところにあり、太宰が終戦直前に疎開し、実際に1年4ヶ月もの間暮らしていた家だそうだ。てか、名称を読み上げればわかるか。『故郷』の中では、この新座敷に太宰が戻ってきたときの様子が描かれているらしい。『故郷』は新潮文庫の『走れメロス』の最後に収録。僕もどんな話かはっきり覚えてないので、ちょっと読み返してみようかなと。まあとにかく、こちらは去年から一般公開しているという新しい名所で、斜陽館とセットで見学しておきたいスポット。案内料は500円。


 隣で京染屋さんを営んでいるご主人が案内してくれるのだが、とても丁寧にわかりやすい説明をしてくれる。僕は電車の時間がせまっていたので、せこせこしていたのだが、ここでの15分ほどの時間が、青森で過ごした3日間の中で一番充実していたように思う。どの文献にも載っていない、貴重なお話を聞くことができた。


 疎開中、太宰は奥の部屋を仕事部屋として使い、『パンドラの匣』『トカトントン』など22作品を書き上げたのだとか。実際僕もここに座って、写真を撮ってもらった。僕が人に写真を撮ってもらうことなんて、ほとんどないのだが、この場所は特別だ。撮らないわけにはいかない。ご主人の説明が上手なのか、とても「雰囲気」を感じる空間だった。歴史上の人物のように思われる太宰だが、昭和23年(1948年)まで生きていた人間であり、太宰の話を聞いたり、関わりのあった人間もまだまだ生きているわけである。その「息づかい」を肌で感じるのだ。


 今朝採れたという桜桃をご主人からいただいたので、玄関口で記念撮影。


 その後、この桜桃は金木駅で口の中に含みました。種はそのまま駅の脇にぷいと吐き捨てました。なんとなく「駅に種を捨てる」というのが太宰ぽいかなと思い、ひとりで満足してしまいました。ただ、帰りの電車でふと思ったのですが、この桜桃を三鷹のお墓まで持っていくというのも、なかなか素敵なことだったのではないかなと。でももちろん後になってそんなことを思いついたって、どうしようもないのですがね。そうです、もうすぐ太宰が生まれて99回目の、太宰の命日として60回目の、6月19日を迎えます。桜桃忌。さくらんぼが実る季節です。


■太宰の暮らした疎開の家
 【住所】青森県五所川原市金木町朝日山317-9
 【電話番号】0173-52-0363(白川)
 【入場料】500円
 【開館時間】9:30〜16:45
 【休館日】無休


◆太宰屋
◆太宰治 新座敷 金木 太宰屋の今日


◆五所川原市 太宰治記念館【斜陽館】