ストリートビューで振り返る、オレ流東京史


 ストリートビューがおもしろすぎる。のでこれまでに自分が関わってきたストリートをビューでもしてみる。


都電時代(1997〜1998年)

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 受験のときに大塚駅のホテルに宿泊し都電を利用したという理由から、都電沿線で家を探し、ここに決定。東京生活のスタートを切るも、友人の家を遠いし、そもそも「この辺は、東京っぽくない」などの理由で、1年くらいで引っ越す。家賃は確か58,000円くらい。


 今となっては好きな学校。


石神井時代(1998〜2000年)

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 で、鈴木蘭々の実家の近くが良いという理由と、早稲田生は西武新宿線に限るなどという体裁から練馬区へ。今思い返すと、たった2年しかここにいなかったのかと思うくらい、いろいろなことが凝縮した時間を過ごした。「東京で学生をしていた」という実感が一番残っている。僕にとっての「ノルウェイの森」のような時代だった。ロフト付き6畳。家賃は確か65,000円。


 カミシャク時代のベスト・オブ・ラーメン「一圓」。餃子をいつも食ってた。


 「鳥やす」。楽しい思い出しかない。てか、昼間見ると印象違うな。


 スタジオPENTA吉祥寺サウスサイド。客として、そして店員として、自転車で通ってたバンド・スタジオ。今はすっかり様変わりしているらしい。


国分寺時代(2000年〜2006年)

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 どうしてかわからないが、妹と一緒に暮らすことにした。いろいろな人が出入りをした。僕の友人も、妹の友達も、親も、恋人も、そしてよくわからない人々や何匹かの猫やハムスターも。僕は学校を辞め、アルバイトをし、専門学校に行き、会社に勤め、野球をはじめた。妹は学校を卒業し、会社に勤めて、そして辞めた。いろいろな転機を過ごした家であるが、それなりに安定していたのかもしれない。いつの頃からか3人で暮らすようになった。日当たり良好、風通し抜群、ベランダも広くよく素振りをしていた。3DK。家賃は125,000円で3年目からは112,000円くらいになった。


 僕の中でのナンバー1定食屋さん「宝来」。


 2001年くらいからこのあたりをジョギングするようになる。


 で、中野の今の家を紹介するほど、僕はバカじゃないね。そもそもこの家には1回空き巣に入られてるくらいだしね。


 2007年〜2008年。引き続き妹と2人暮らし。中野にしたのは、中央線沿い、かつ、お互いの職場に近い場所ということから。しかし、妹は結婚し、今は一人暮らし。10月末で契約終了。2K。家賃は102,000円。