だから、おまいらは黙って桑田さんの話を聞け

◆戦いの果てにたどり着いた「感謝」<@niftyビジネス (2009.03/23)


(略)
──アメリカでのオープン戦で審判と接触して、今度は右足首の靱帯を断裂する大けがをされました。どうして自分だけこんなに苦労しなければならないのか、とは思いませんでしたか?

桑田 審判とぶつかって倒れたときは、すぐに「ああ、終わったな、引退だな」と思いましたよ。足がぐしゃっと反対に曲がったことが分かったし、戻そうとしても戻りませんでしたからね。

でも僕は、世の中に偶然のことはなくて、すべて必然だと思ってきましたから、このけがにも何かしら意味があると考えました。「何かに気づきなさいよ」と教えてもらっているんだと思いました。

それまでの野球生活では、常に細心の注意を払って、体を万全の状態に保ってきました。テーピングを巻いたり、痛み止めを飲んだりしたことは一度もなかったんですよ。でも、現役生活の最後の最後で、テーピングを巻いてでも薬を飲んででも頑張るということを教えてもらったわけです。最後まで「あきらめない」ということを教えてもらったわけです。だから僕は、審判とぶつかったあの経験にも、やはり感謝しているんですよ。あのとき、「何だよ、この審判」と思っていたら、恐らくメジャーのマウンドに立つことは無理だったでしょうね。
(後略)


 僕はね、元来あんまり他人を嫌いにならないタイプだったんだよ。つまり、自分に関わりのある人は誰に対しても、ある一定以下の感情を持たない性質だったんだよね。でもね、やっぱり人間年を取ると短気になってくるもので、ストレスを抱えやすくなって、他人の陰口を叩いたり、腹を立てたりすることが多くなってきたと思うんだよ。うん、これは認めないといけないね。


 でもね、桑田さんのこのインタビューを読んで恥ずかしくなったね、まったく。もちろん自分のことがだよ。“僕は、審判とぶつかったあの経験にも、やはり感謝しているんですよ。あのとき、「何だよ、この審判」と思っていたら、恐らくメジャーのマウンドに立つことは無理だったでしょうね”って言ってるんだよ、桑田さんは。これにはまいったよ。「たられば」で申し訳ないが、あの事件がなければ、メジャーで1勝くらいはできてたと思うんだ、桑田さんならね。君もそう思うだろ。でも、こんな「たられば」を鼻息荒く主張してる時点で僕は限りなくミクロな人間なんだよ。


 人には必ずヒーロー願望があって、もちろんそれは「英雄」の意味のヒーローでもあるけど、「悲劇のヒーロー」にも憧れる部分はあると思うんだ。少なからず誰にでもね。でもね、悲劇のヒーローなんかになったところで、何も得られないし、誰も幸せにならないんだよね、実際問題。だから、落ち込んでもいいけど、すぐ立ち上がってまた歩き出さないといけないんだ。桑田さんは、そういう“静かな強さ”を僕らに持ってほしいんだと思うよ。うん、やっぱ桑田さんの話は勉強になるよ。