「夢」と「理不尽」は同義語


 i文庫で夏目漱石の『夢十夜』を読んだんだ。


 高校のときの現国の授業で『こころ』をやったときに、「漱石の作品では、『夢十夜』もなかなかおもしろい。ただ単に漱石が見た夢を十遍書き綴ってあるだけだが、これが人間の深層心理の研究の分野からもなかなか注目されてるんだ」みたいなことと先生が言ってたのを覚えてるんだよね。で、今になってはじめて読んだんだ。うん、こういうちょっと気になっていたけど、わざわざ買うほどでもないよなって作品読むには、思いついたときに電子書籍にさわっとダウンロードして読むのがとってもスマートだと思うんだ。



 でね、読んでるうちに思ったんだけど、「夢」ってのは「理不尽」と同義語のような気がしてきたんだ。


 というのはね、僕はどんなに理不尽な出来事にも必ず根拠や要因があると思ってるんだ。問題は、当人がそれに気づいているかどうかであって、気づいてない場合に「理不尽」という便利なラベルをつけて納得しようとしてるだけだと思うんだよ。具体的に言うとだね、「理不尽に叱られた」なんて言うのは、自分が何で叱られてるのかわからない人間が、相手を悪者扱いすることで自分を正当化したいがために、「理不尽に叱られた」と解釈してるだけなんだと思うんだよね。自分が注意された原因を探すことをしないでね。


 つまりさ、僕が言いたいのは、「理不尽」と同じように「夢」にも何かしらの根拠があると思うんだ。なぜこのタイミングでこの夢を見たのかという、その根拠や要因を探ることには、それなりの意味があるような気がしてきたね。例えば、こういう風に自分が見た夢を物語りにしてみるとかね。そうすることで、自分ってものの内側に潜んでいる何かを見つけられそうだよね、まじ。ちょっと夢みたいな話だけどね。


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