干支で物事を計算するということ


 今年の成人の日は、どうも引っかかるものがあったんだ。なんとなく馴染みのあるというか、親近感を感じたんだ。でもね、ちょうど10年前が自分の成人式だったかなと思ったんだけど、別にそういうわけでもないしね。もうとっくにオーバー・サーティーだしね。でね、よくよく考えてみたら、自分の成人式のときは寅年だったんだよ。うん、つまりさ。干支的に一周りしたってことだね、自分が成人してから。


 で、そう言えばさ、干支で人の年齢を見積もるケースってあるよね。例えばさ、親戚のおっさんとかって、正月とかにたまに逢うとよく「君の干支はナンだね?」とか訊いてくるよね。で、「ヘビです」とか言うと「おお、じゃあ俺と同じだ」とか「ああ、確かサトルのトコのケンジはウサギだから、え〜っと、ネ、ウシ、トラ、ウ……で、タツ、ミだから2つ違うのか?」とかいう差分を提示してくるよね。なんかそういうのってまどろっこしくて、しょうがないよね。どうして干支の12進法で物事を考えるんだろうかって疑問だったんだ、ずっと。だって、普通に西暦とか昭和年数で計算した方が年の差って簡単明瞭に求められるよね。


 でもね、不思議と30歳に近くなってくると、干支で年の差とか、月日が経つのを計測することが多くなってきたような気がするんだよね。今回の寅年の成人の日ってのもいい例だよ。でね、よくよく考えてみたら、これって2つばかしの理由があると思うんだ。



 まず1つ目はね、年齢を重ねると、それに比例するように付き合う人の年齢層もぐんと広がってくるんだ。で、その結果、ごく通常の10進法で年の差を弾き出すより、12進法で考えた方がレンジが広くなるから便利なわけさ。たった2つだけだけど、けっこうでかいと思うよ。10進法だと、10より大きい数値ってのは漠然と「たくさん」となってしまうけど、干支で考えると、12まで一括りで考えられるからね。少しでも尺の大きい物差しの方が便利な場合が増えてるってことさ。


 もう1つは、同じように、年齢が10個違うと表現するより、干支が一緒という表現の方が連帯感は生まれるよね。「12歳違うのかぁ」「同じ干支ですね」じゃ、印象も違ってくるのは、耳に聞こえてるよね。だから、干支って年の差がある人と付き合う上では、押さえておきたいデータの様な気がするんだ。


 で、さらによくよく考えてみると、成人を迎える年の干支が自分と同じってことは、つまりは、今年の新成人の干支も僕と同じヘビってことだよ。で、さらに今年の新成人から全員が平成生まれらしいね。つまりは、僕らが昭和最後のヘビ年ってことで、節目で名誉な干支ってことだよ。