村上春樹著『海辺のカフカ』感想



『海辺のカフカ(上巻)』村上春樹


 イマイチ印象のない作品なんだよね。大島さんが登場し、中日ドラゴンズの帽子をかぶった星野さんが出てくるって物語にも関わらずね。まあこの『海辺のカフカ』は2002年のリリースで、多分図書館で借りて読んだから事実上は2003年くらいに読んでるはずなんよね。で、文庫本が本棚にあったけど、いつ文庫を買ったのか覚えてないし、もちろんそれをこれまでに読んだかどうかも記憶にないんだよね。でも、古いブログを検索してみると、2005年に文庫本の感想が書かれているんだ。だから図書館では借りずに文庫化を待って読んだのかもね。人の記憶ってのは、すこぶる適当なんだよ。


◆村上春樹著『海辺のカフカ』<Not Found (2005.03/24)


 まあとにかくさ、また文庫で再読したんだよ。


 でね、今回気付いたのは、カーネル・サンダースが連れてきた女の言ったセリフが、この物語の一番のメタファーなんじゃないかってことだね。そのセリフ君はわかるかな、「自己と客体の投射と交換」ってやつだよ。だってさ、「カフカくんとカラスの投射と交換」ってのが冒頭なわけだからね。んで、カフカくんとナカタさんもジョニー・ウォーカーのシーンで「投射と交換」を行ってるし、ナカタさんとカーネル・サンダースになってる存在だよね。んでさらに、後半に登場する「時間はとくに大事な問題ではない」ってセリフから「普遍的な想い」ってのもキーワードになってるよね。佐伯さんの恋人への想いはもちろん、ナカタさんの先生の生き別れた夫への想いとか、森の中の兵士たちの意志とかね。また、源氏物語の生霊のエピソードから「別の時間に同時に存在する」ってのもポイントだよね。


 てゆーかさ、源氏物語の他にも古典や神話の引用なんかが随所に出てきて、その辺もいちいち伏線になってるんだよね、きっと。だから、すべてのエピソードが表面上薄〜くだけど、広〜く全体的に繋がっているわけさ。曖昧に散りばめられている示唆に気付いて掘り起こしてみると、深く、そして強く、何かと何かが結びついていて、読めば読むほど発見がある作品なんだと気付いたね。気付いちゃったんだよ。まあ何が、どのシーンのモチーフやメタファーになっていると感じるかってのは、個々人で違うだろうけどね。


 あとは、チェーホフの拳銃の引用であったり、どこか別の場所への射精であったり、『1Q84』に通ずる文章も多々見られたのが興味深かったね。


 まとめるとだね、春樹は一度読んだあと、時間をおいて再読しないと楽しめないね。特に『アンダーグラウンド』以降の作品はね。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』や『ノルウェイの森』みたいな、一発ノック・アウトを狙った作風ではないんだよね。まじめな話。


◆『海辺のカフカ』のナカタさんはカラスだった?<BUNGAKU@モダン日本 (2006.06/26)


◆不思議カフカ



『海辺のカフカ(下巻)』村上春樹