理屈じゃない何かと道化


 ここしばらく、というか数ヶ月間、チームのキャプテンが元気ないんで晩飯にでも誘ったんだよ。2人でファミレスに行って、文字通り適当な話をしたんだ。


 ところが、まったく上手くヒアリングできなかったんで、彼をどれほどリフレッシュさせてあげられたかは未知数なんだけど、僕自身、一つ、ぼんやりとわかったことがあるんだ。それはね、彼らは「強くなりたい」とか「上手くなりたい」みたいなことを口にしてるんだけど、彼らの言い分を正確に表現するなら「強くしてほしい」とか「上手くしてほしい」という他力本願なんだということだね。「先生がいないから、強くなれない」みたいなことを強く主張してるわけさ。まあただの言い訳なんだけど、「子どもの言い訳」として片付けちゃいけない気がしたんだ。それが中学生としての真理なんだろうなと。



 だからね、中学の部活ってもんは、四六時中構ってやること、理屈よりも動かしてやること、が重要なのだなと思ったよ。確かに、いろんな本を読んで得た理屈や理論を教えたときりも、彼らを走りまわして汗をかかせてぜーぜーいわせたときの方が充実感があるんだよ。彼らも満足気だしね。僕も中学のときは、理屈や理論や感情論、精神論なんてほとんど気にしたことがなかったね、思い返してみると。とにかく動かされることで鍛えられた気がするんだよね。「あれやれ、これやれ」みたいな感じで。もちろん、高校以降のスポーツ、部活はまた違うのだろうけど、中学生に関しては、とにかく強制的にでも、まずは「動かす」ことが重要なのかなと思ったよ。


 あと、もう1個気づいたことは、へらへらしてるわりには、現状を深刻に、ネガティブに考えてるんだな、ってことだね。話してみると、なんだ色々と考えたり悩んだりしてるんだな、と思ったわけさ。まあ、当たり前なんだけどさ。小さいことでくよくよ悩むなんて、思春期の人間の専売特許みたいなもんだからね。でも、そういうことも、今まで気づかなったよ。てゆーかね、ホントは現在進行形の悩みがあるからこそ、ピシっとできなくて、へらへらしちゃうんだろうね。



 そこで思い出したのが、僕が中2のときの読書感想文で、ダザイの人間失格を読んだことだよ。当時は読書が大嫌いだったせいもあってか、さっぱり意味がわからなかったんだけど、「道化」という言葉と、その意味を知ったことだけは覚えてるんだよね。「道化」を演じることで、自分の暗い部分を隠そうとする。「道化」を演じることで、悩みが尽きない毎日を誤魔化そうとする。っていうようなくだりがあったんだよ。つまりさ、思春期という時間を生き抜くには、今も昔も根本的な部分は変わってないんだなと思ったよ。へらへらしなきゃやってられないんだよ。だから、そんな理由でいい加減な奴だと片付けちゃいけないってことだよ。


 たまにしか顔を出さない指導者って立場でも得るものは大きいね。やっぱり人と向き合って、真剣に取り組むことは良いことだと感じたよ。ましてや、自分が努力して結果を伸ばすのではなく、他人に努力をさせる立場ってのは殊更だよ。4月からは少し状況が変わるような気がするけど、できることなら、もう少し続けていきたいね。この外部コーチってポストをね。