校長先生のメッセージが伝えること

◆卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。(校長メッセージ)立教新座中学校・高等学校 (2011.03/16)


卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。


 諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。 また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。
 とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。
 未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。
(後略)


 素晴らしい文章だから、ぜひ一度君も読んでみてくれよ。余計な注釈をつけるまでもなく、100%過不足のない完璧なメッセージなんだよ。掛け値なしにね。


 で、そこで思い出したんだけど、こないだの土曜、僕は15年ぶりくらいに「卒業式」なるものに出席したんだよ。中学校のだけどね。で、なんでそんなトコにのこのこと出て行ったかというと、ほんの数回だけど部活の指導をした生徒の姿を見届けることもあったけど、もうひとつの目的は、校長先生の話を聞くということだといっても過言じゃないね。


 というのもね、僕が知りたかったのは、中学校という現場では、どんな言葉が使われているのかってことなんだ。だって、僕らのようなおっさんが普段話しているような会話や単語を、中学生が使っているとは思えないもんね。校長先生が生徒に贈る言葉を知ることで、僕が生徒に何かを伝えるにあたって役に立つだろうと思ったんだよね。僕の言いたいことは解らなくもないだろ。でもね、実際、そこまで特殊なスピーチじゃなかったかな。想定内の激励の祝辞だったなというのが正直な感想だよ。な〜んだ、中学校でも一般社会でもたいして変わらない言葉が使われてるんだなって。となると、逆に中学生はこの話の意味解ったのかなとも思ったんだ。



 でだよ。先の立教新座高校の校長のメッセージも、それ相応の大人には強烈さが伝わるのだろうが、実際問題、高校生の生徒はどれだけ感動したのかな、という疑問も感じたんだ。「海を見る自由、ってナンだよ」「立ち止まる自由、ってナンだよ」って楯突いた卒業生も少なくないんじゃないかな。そもそも、もしこれがプリントなんかで配られているなら、読んでいない生徒の方が多いような気がするんだよね。というのもね、自分が学生だった頃、校長先生しかり担任の先生の話、そもそも大人の言ってることなんてものはろくすっぽ聞いてなかったし、むしろ早く終われようっせーな、くらいの値打ちでしかなかったんだよね。で、その中でも特に繰り返し出てくる、自覚を持てだとか、自立せよだとか、勉学に勤しめだとか、保護者に感謝せよだとか、そういう類のものは、てんで興味関心がわかず、今でいう華麗にスルーしてたんだよね。中には、この校長のメッセージのような素晴らしいものがあったかもしれないのだけどもね。


 でね、僕は思ったんだ。まずね、未成年の人間にとっては、まわりの大人から言われることに対して、意味が解らないんですけど、それ必要ですか、って思うことが大事なんだろうなと。「感謝しなさい、とかかったるいこと言ってんじゃねーよ」って、すごい大事だことなんだよ。「は? 立ち止まる自由? 俺は立ち止まったりなんかしねーよ、バカじゃねーの」とか、とても可能性を感じるよね。



 僕がそう思うのはね、普通に生きていけば、どこかの段階で絶対に気づくはずなんだ、これらの重要性にね。厭でも。「ああ、立ち止まる自由ってのは、このことを言っていたのか――」と。で、それまでこの言葉を軽視していたことの愚かさに気づくこと、そしてそのときハンマーで後頭部を殴られたような衝撃ってのが、成長ってものなんだよ。


 だからね、校長先生の言葉や先生のお説教なんてものは、「生徒」にとっては意味が解らなくてもいいんだよ。な〜んか、そういうようなことを言ってたな〜くらいで必要充分なんだ。大事なのは、彼らが「大人」になる過程で、「これか!」と気づいてもらうことなんだ。だからね、僕も、中学生に対して何かを伝えるにはどんな言葉を使えばいいか、なんて細かいことは気にする必要はないんだよ。大事だと思ったことは繰り返し口にしていけばいいんだ。いつか、その中の何か一つでも、その意味するところに気づいてもらえればオーケーなんだよ。



 最後に蛇足だけど、僕は卒業式で、校長先生、教育委員会の人、そしてPTA会長のスピーチを聞いてて、この御三方が共通して「夢を見てください」「努力してください」というメッセージを口にしてることに気づいたんだ。だから、その日の午後からの部活のお別れ会で頼まれていた乾杯の挨拶のときに言ってやったんだ。今日の卒業式で偉い人達が言ってたことをおさらいさせてくれと。

 繰り返し出てきたことが2つあった。「夢を見てください」「努力してください」ってこと。覚えてるかな。どうせ聞いてなかっただろうけど、とにかく3人とも言ってたんだよ。「夢を見てください」「努力してください」ってね。でね、個人的な意見だけど、僕は、夢には賞味期限があると思っている。賞味期限ね。高校生から二十歳くらいのときに見る夢が一番スケールがでかくて、飛び抜けていて、パンチが効いている。でもそれは徐々に色褪せていってしまう。だから、これからの3年間で見る夢が人生の中で一番どでかくで、楽しくて、おもしろい。精一杯夢を見て、それに向かって努力してください。んじゃ、卒業おめでとう。夢が叶わないと気づきはじめると、人はお酒を飲むようになります。君たちのジュースはおいしそうだね。乾杯。


 っていうようなことを言ったつもりなんだ。でもどれだけ伝わっているかは微妙だね。そもそも、夢を見ることも、努力することも、中学生の彼らにとっては、まったく特別なことではないから、また夢とか努力とか青臭いこと言ってるよ、とか思われたかもしれない。でもきっとどこかの段階で気づいてくれると信じてるんだよね。中学校の卒業式の日、校長と教育委員会の人とPTA会長とが、「夢を見てください」「努力してください」と言っていたということをね。そしてそれが人生におけるすこぶる大事なキーワードなんだということをね。