「部活」に顔を出す度、色々考えさせられる


 先日、春季大会があったんだよ。春季大会ってのは、春の季節に行われる中学生の部活の大会のことで、新年度になって最初の大きな大会なわけさ。だから、新鮮味とか緊張感とか初々しさとか色々ちゃんぽんされた試合なんだよね。


 でね、何回か言ってると思うけど、今の新3年生は、部員が1人しかいないって学校がいくつかあって、まあ仮にその1つをA中としようか。で、そのA中の3年生A君は、僕の当時のチーム・メイトの甥っ子ってこともあって、A君も自分のことを知っててくれたんだよね。「中学で、○○おじさんと同じチームだったんですよね、知ってます」みたいな。で、冬に練習試合をしたとき「A君も1人で色々苦労しとるやろうけど、お互いがんばろうや」みたいな感じで喋ってたんだ。んで、あげくA中は、今年度から先生も変わったらしいので、どうしてるかな、と少し気になってたんだよね。ところで、これまでの登場人物を取り巻く関係は把握できたかな。


 でだよ。春季大会にて、A中の試合前の練習がはじまったから、どれどれとA君を探してみるんだけど、なかなか見つからないんだよ。てか、別の奴がキャプテンのユニフォーム着てるんだよね。「もしかして、1人しかいないし、もう先生も変わったし辞めたのかな」と思って、ウチのキャプテンに訊いたんだよ、「A君はどうした?」と。すると、「あいつ、B中に転校しましたよ」だって。ちなみに、ここでB中と称したのは、僕が部活に関わるようになってから、すべての市内大会で優勝、県内大会でも1位か2位になってる強豪校のことだよ。実際、隣のコートでB中の試合がはじまってたから、見てみると、その通りいるわけさ。試合に出てるんだよ。生き生きしてたよ。ぶったまげたね。「お、お前……」って。贔屓チームではないけど、お気に入りだって選手が、FAで巨人入りしたような気持ちだよ。で、当然「何で引っ越したの?」ってキャプテンに訊くんだけど、「さあ。家の都合じゃね?」って。でも、家の都合なわけないよな、普通。だって金沢市内なんてどこも車で移動するわけで、交通の便の良いも悪いも大差ないしね。あげく、中3になるタイミングで同じ市内の中学引っ越すメリットなんてあるわけがないよね。否、最後に部活を思いっきりやりたい、とかいう理由であれば理にかなってるけどね。



 まあもちろん真偽のほどはわからないよ。でも、なんか悲しい気持ちになったよ。ここまできたら最後までやりぬけよって。もちろん、偶然家の都合ができたからラッキーって、そういう経緯かもしれないよ。僕にはわからないよ。憶測でしかないし、無理に自分にとってネガティブな側面だけで見てるのかもしれないんだけどね。でもとにかく、ウチのキャプテンのことを考えると、とても切なかったんだよ。裏切られたという気持ちは、どこかにあるだろうね。お互い1つ上の学年までは上位に勝ち上がる学校だったのに、自分の学年が1人しかいないことで、急に弱小校に成り下がったという立場だからね。実際、いつかキャプテンの口からも「俺、ホンキでA中に転校することを考えた」って言葉が出てたし、同じ境遇のA君を何かしらの救いにしてた部分はあるはずなんだよ。でもそれが最後の最後に、A君はB中に、そしてウチのキャプテンはそのまま居残り、相変わらず1回戦負け。残酷だなと思ったね。


 もちろんさ、長い目で見れば、弱かろうが、指導者に恵まれなかろうが、続けたことに意味があったと思えるんだろうけど、そんなことは、「今」を生きている中学生には到底わからないだろうね。自分がカッコいいかどうかとか、他人がどうしたこうした、なんてのが一番気になる時期なわけだし。それに、「意味があった」という考え方を説き続ける大人がいないことには、「本当に無駄な部活動だった」で記憶されてしまう気がするんだ。それだけは避けたいんだよ。「1人しかいなかった。恵まれなかった」で終わらせるのではなく、「1人でやり通した。勝てなかったし、死ぬほど悩んでくやしい思いもしたしみじめだったけど、たった1人で3年間続けた。お前が俺の立場だったらできるか? 途中で逃げ出すんじゃないのか? でも俺はやったぞ」と言い切ってほしいんだよ。僕は、部活というものから、勝つことにこだわる意味を学んだつもりだ。でも、今は、同じ学校の同じ部活動から、たかが部活動なんだ、勝つことなんてたいして重要じゃないってことに気づかされた気がするよ。


 先生の移動や中学校学校選択制もそうだし、今の中学生は、部活動の現場での人の行き来で悩まなければいけないんだな、たいへんだな、と思ったよ。まあ余計なお世話かもしれないけどね。でも、人の進退であったり、去就であったり、つまりは出逢いや別れってのは、その人に与える影響力がでかいんだよね。