キーボードを捨てて、文字を書こう

日経MJ(2007.02/14)


「日々の生活で感じる心象風景を書で表現したい」と話すのは華雪(かせつ、31)さん。
(略)
華雪さんは書家として活動するほか、東京と大阪、京都で書と、木や石に印をつける篆刻(てんこく)のワークショップを開く。20―30代の女性を中心に毎回約20人が参加する。「きれいな字を書きたい」「字を書くことでリラックスしたい」など理由は様々。参加者は書く前に1時間以上かけて「自分が本当に書きたい文字を探してもらう」という。参加者からは「普段の仕事はパソコンが中心なので、字を書くこと自体が新鮮で楽しい」(33歳、OL)との声があがる。


 まあ、字を書くことが苦手で、嫌いだという人もなかにはたくさんいるだろうが、僕は字を書くのが好きな方で、封書の宛名書きなんかも楽しみのひとつである。そのときの集中力具合で字の出来不出来が変わってくるというスリリングさが心地よい。自分の手で字を書いているという実感、プチ職人にでもなったかのような気分にすらなる。「請求書在中」という言葉にしてもハンコではなく、赤いボールペンに持ち替えて書くようにしている。


 しかし現状では、字を書いたり、そもそもノートをとるということも相当減ってしまっている。ほとんどがパソコンのなかで、キーボード上で、データとしてデジタルな文字を扱っている。宛名書きにしても、データにしておけば、あとから検索もできるし、カテゴライズもしやすいし、一気にラベル出力もできてよほど効率的だ。


 昔、FAXの送付状に「いつもお世話になっております、うんぬん」と手書きで書いていたら、「なんでわざわざ書いてるんですか?」と蔑むような目でみられたこともある。そんな定型文なんて最初から書き込んだ形式で出力しろよってことだろう。まあ、確かにそのほうが時間の節約にもなるし、もっともなことだとも思う。


 しかし、紙に文字を書くという行為は、せかせかやってるなかで一旦襟を整える心境にも似ているかもしれない。落ち着くために必要なものだと思っている。それにパソコンから出力された文字というのは整ってて見やすいが、ときにその画一化された記号が無機質に見え、目で追ってるだけでちっとも頭に入ってこないこともある。多少汚くても手書きの文字の方が何かを表現、主張しようとしている気持ちが伝わってくるのだ。まあ、僕の場合はそんな小難しいことはおいといて、自分のための息継ぎをする時間として、文字を書く時間ってものを大事にしようと思っているんだけどね。といったことをブログで主張したところで、なんの説得力もないか。


「花=flower」 ちなにみこの紙面の同じコーナーで紹介されていた書道家國重友美さんの英漢字(ええかんじ)」ってのがおもしろそうだった。「花」という漢字を「flower」というアルファベットを織り交ぜて書いたり、「魂」を「soul」でつくりあげたりしているのだ。個人的には「書道」ってなんか地味なイメージがあるんだけど、この華雪さんも國重さん(元アイドルらしいが)もとてもきれいな方でござった。