床屋のお姉ちゃん


 床屋に行って来たんだよ。近所のね。


 で、入ってみると、そこは絵に描いたような床屋なおっさんと、こじゃれた美容院にいるような若いお姉ちゃんがそれぞれ誰かの髪をいじってたんだ。まあ誰かの髪って言ってもお客さんの髪なんだけどね。で、漫画本がたくさん置いてある待合スペースみたいなとこには小学生くらいの男の子が2人、一心不乱に漫画を読んでたんだ。僕が入ってきたことなんかに見向きもしないでね。すると、おっさんがカウンターの帳面みたいなとこに名前を書いてちょっと待ってくれと言うわけさ。愛想良くもうすぐできますからね、とか言ってね。僕は名前を書いて、漫画を読んでる小学生の隣に座ったんだよね。そのときも小学生は僕が隣に座ったことに何の興味も示さなかったよ、まじで。


 すぐにお姉ちゃん側の客が終了したんだ。その客は僕の隣に座っている小学生の友達だったんだけど、漫画を読んでる2人は、友達が戻ってきてもやっぱり目も上げずに漫画を読み続けていたね。多分この2人はもう散髪し終わってて、最後の1人を待ってたんだろうね。


 で、お姉ちゃんはカウンターのところで何かを書いたり、書類を移動させたりもそもそやってるわけだけど、それを見たおっさんが、「なんとかちゃん」とか言って小声で呼びつけて、もっと小さな声で、オオシマサンを、オオシマサンをとか指示してるのが聞こえるわけさな。つまりさ、今の客が終わったなら次のオオシマサンを案内しないさいよってちょっと怒ってる風な指示なんだよね。こういうのって非常に気まずいよね。


 で、そう言われたお姉ちゃんなんだけど、何だかやっぱりおろおろしてるだけなんだよね。何をやればいいのかわからないけど、ぼさっと突っ立ってると何か言われるからとりあえず手元にあるものを向こうにやって、向こうにあるものを手元に持ってくることに集中してますといった風におろおろしているんだよ。で、おっさんも幾分呆れた風な口調で、「お」だから棚の左上の方とか探してみてとか言ってるのも聞こえるんだよね。要は僕が前に来たことがある客かもしれないから、そのカルテを探しなさいよってことなんだよね。でも僕ははじめてなわけだから、カルテなんてないんだよ。んでもって、お姉ちゃんも要領が悪そうだから、カルテがないことで困ってる風なんだ。ちゃんと探してないからないのか、そもそもないのか、どこまで探した段階で「ない」と判断していいかわかんないわけさ。こういうのって俺も悪いことしてるみたいな気になるんだよね。いっそ、僕はじめてだからカルテとかないですよって言おうかと思ったよ。もちろんそんなこと言わなかったけどね。なにせ、僕はその一連の指示が聞こえていない風に装わなきゃいけないわけだからね。それが一番疲れるんだけどね。


 で、なんだかんだで散髪用の椅子のところまで案内してもらったけど、切る段階になったら、お姉ちゃんはどっかに引っ込んでしまって、おっさんが陽気な笑顔で出てきたんだよね。オオシマサンははじめて、ですよね、今日はどうしましょうとかね。「はじめて、ですよね」ってちょっと弱気な感じで訊いてきたあたりで、やっぱりカルテを探したお姉ちゃんを使用してないんだなって確信したね。


 そんで髪が切り終わると、またどっかからお姉ちゃんが出てきて、シャンプーしてドライヤーで髪を乾かしてくれたんだ。多分、そういう役割分担なんだろうね。でもそのドライヤーがけが終わって、お姉ちゃんがドライヤーにコードをくるくると巻きつけていたら、横からおっさんが今にも舌打ちせんとばかりに割り込んできて、僕にドライヤーをかけ直すんだよね。確かに僕の頭は半乾きだったんだ。おっさんはベテランだから、そういうの見逃さないんだよね。でも、あー、またこのお姉ちゃんの株が下がったなと、僕は申し訳ない気分になったね。いっそ、半乾きだけどこれでいいですよって言おうかと思ったよ。もちろんそんなこと言わなかったけどね。


 その間、お姉ちゃんは横に立って黙ってめんどくさそうに見てるんだよね。まあ多分、このお姉ちゃんもホントの夢は片町とか竪町の美容院で働くことで、なんでこんなどうでもいい町の床屋で働いてるんだろってモチベーションも低いし、そもそも勉強しようとか、もっと上手くなろうとか、つまりは向上心がないんだろうね。ちゃんとしたおしゃれな美容院だったら、もっと本気出してきちんとするけど、こんな床屋で小学生やおっさんの相手してたって実力出せません、みたいに現状を否定することしか考えてないんだろうね。まあしょうがないだろうね。若い頃って何かと体裁を気にするからね。


 それでもこの床屋はまあ悪くないかな。次ぎ行くときに、このお姉ちゃんはいるのかな。まあ、いなくなってたとしてもそれはそれでおめでたい話のような気がするけどね。もちろん、いてもいなくても、客の小学生は気にせず漫画を読み続けるのだろうが。