おいしい紅茶の淹れ方


 僕はちょくちょくマックで食事をすることがあるんだよ。マックというのは、マクドナルドのことだけどね。まあ、何であんなチープなとこで、とか、マックって意外と高いじゃんとか、いろいろ言われることもあるけど、僕はマックという空間がそんなに嫌いじゃないんだよね。まあとにかく、そのマックで僕は最近ホット・ティーを頼むことが多いんだけど、そのホット・ティーつまりは紅茶を見て思い出すことがあるんだ。だから、これから話すことはマックの話じゃなくて紅茶の話なんで、そのへん気持ちを切り換えて聞いてほしいと思うんだよね。


 昔、地域のミニコミ紙をつくってて、駅前にパン屋ができましたとか、今度4丁目の神社でお祭りがありますみたいなことを書いてることがあったんだけど、そのときに、とある小奇麗なカフェに取材に行ったことがあるんだ。そこは、子育てに一段落した若い女性がマスターのようなことをやってるお店で、まあいわゆる女の人が憧れるような、ちょっと落ち着ける私だけの空間でお茶とスイーツがいただけるみたいなお店だったんだよ。「ベビーカーのお客さんでも利用しやすいように、完全バリアフリーなんです」と、母親視点のお店づくりを気持ちよさそうに語ってたね、そのマスターは。


 で、だ。自慢のメニューは紅茶ですと言うんだ。ぜひ飲んでみてくださいと言って、そうだじゃあ特別においしい紅茶の淹れ方を教えてあげますとか言って、そうそう市販されているティー・バッグでもすっごくおいしい紅茶ができるんですよ、という展開をみせたわけさ。つまりさ、最初は座って話をしてるだけだったのに、彼女のボルテージが上がってきたということだよ。で、どこかからいろんな器具を持ち出してきて、目の前で紅茶を淹れてみることになったんだよね。


 まあ、かいつまんで説明すると、先にカップにお湯を入れ、そのお湯の上にそっと乗せるようにティー・バッグを置いて、蓋をして何分か待つ、っていうようなことだったと記憶している。「香りを逃がさないように蓋をするんです。これだけで、まったく違う紅茶ができるんですよ」と、確かに言われてみると、理に適っているから、僕の期待も高まるわけさ。かわいらしい砂時計を横に置いて、あらかじめカップもあたためておくともっといいかもですねとか、補足を交えながらそのときがくるのを待ったね。


 で、そのときがきた。つまり砂時計の砂が全部落ちちゃったわけだよ。その隣では、適当に淹れた紅茶も用意してあり、ぜひ、飲み比べてみてくださいというわけさ。その方が違いがわかりますからね、ってことでね。僕は言われた通り、最初に適当な方に口をつけ、さあいよいよという気持ちで、次に手間隙かけて淹れた方を飲んでみたんだ。とりあえず、「ん!」と僕は言った。でもね、そのあとが続かないんだよ。つまりさ、違いなんて、からっきしわからないんだよね。まじめな話。だから、とりあえず「全っ然、違いますねぇ!」と言って、二口目を飲んだけど、やっぱり同じような味と香りしかしないわけさ。クローンかと思うくらい、同じなわけさ。


 でも僕はこの違いがわかる男を演じたね。コロンブスアメリカ大陸を発見したかのように驚いてみせたさ。いや、これはすごい、まいったな、みたいな。するとマスターの方も、それみたことか、と10歳くらい若返ったオーラを放ちはじめたね。で、「この前、4人組の女子高生にも同じことを教えてあげたんだけど、彼女達もみんなこの違いにびっくりしてたんですよ。みんな意外と知らないで紅茶飲んでるなだなぁ、もったいない」とか、一般市民の無知を哀れんでたね。どこか遠くの方を見ながら。


 でもね、その女子高生達もホントに違いがわかったのか怪しいもんだね。まさか、友達のいる前で、自分は同じ味に思えるなんて言えるわけないしね。特に年頃の女の子にとって、紅茶やケーキに疎いなんてことが許されるわけがないから、この場に置いて見栄を張らずにいつ張るんだっていうようなシチュエーションだからね。


 つまりさ、僕が言いたいのは本物がわかる人間なんて、そうそういないってことだよ。プロがどれだけこだわったって、そんなもんは素人にはからっきし伝わらないんだよね。からっきし。僕らはなんとなく、それっぽいってことに満足してるか、他人の目を気にして、その気になってるだけってことなんだよ。実際問題ね。だから僕に、マックでチープなハンバーガーに高いお金を払って何やってんだって言う連中だって、マックとモスの違いがわかってるかといえば怪しいもんだと思うな。