ナタカさんとの話


 なんとなく思い出したんだけど、ナカタさんの話をしようと思うんだ。


 ナカタさんは、僕が24歳くらいのときにバイトで働いていたときの先輩で、なかなかクセのある人だったんだ。藤子不二雄のまんがで、売れない作家とか絵描きみたいな設定で出てくるようなぐしゃっとつぶれた顔をしていて、終始何かブツブツ言ってるタイプなんだ。うまくいかないことがあると、勢いよく頭をかきむしるようなわかりやすい人だったね。年齢はオーバー・フォーティーくらいだったと思うよ。どこの生まれかは忘れたけど、江戸っ子気質を感じる人で、独身で東村山でお母さんと2人暮らしだったはずだね。多分だけどね。


 その職場というのは、いわゆるテレアポの仕事だったわけだが、ナカタさんはなかなか成績優秀だったんだ。タイプとしては押し売りみたいな営業マンなんだけど、確実に売上を伸ばしてたね。マニュアルとか顧客心理とかいっさい無視して、熱意だけで売っていくわけだから常にヒートアップしてたね、仕事中は。


 で、2001年の12月に会社の忘年会があって、5〜6人で向かった2次会にもナカタさんが来てたんだ。そこでは、ナカタさんがどれだけ物事にのめりこみやすいかって話になったんだよ。何年か前に好きな女の人がいたのだが、当時車の免許がなかったナカタさんは、車の免許くらい取ってから出直してきなさいと言わたらしいんだ。それは、いわゆるアラフォーくらいの年齢にも関わらず教習所へ通い、20歳くらいの学生に紛れながらやっと免許を取得したんだという涙ぐましい逸話なんだ。でも、いざ車に乗ってみてマシンを操作するおもしろみを覚えてしまったがため、船舶の免許まで欲しくなって、実際今では船舶免許はもちろん船も所有してるって言ってたね。だから、そんなことをしてるうちに彼女にはふられたらしいけどね。てか、そもそもその彼女はナカタさんなんて眼中になかったと思うんだけどね。まあそういうユニークな人だってことだよ、ナカタさんは。


 で、そんな2次会も終わり、当時僕は国分寺に住んでいたから、ナカタさんと帰る方向は一緒なわけさ。で、ナカタさんは国分寺で乗り換えるはずなのだが、「もももう1軒行こうよ。おごるからさぁ」とまだまだ飲み足りないようで、国分寺ワタミあたりで2人で3軒目に行ったんだ。そのお店でどんな話をしたかはまったく覚えてないけど、とにかくナカタさんが何かを熱弁してたことは確かだね。まあナカタさんが喋るときは8割方熱弁なんだけどね。僕はそのときすごく疲れていたんだけど、ナカタさんは気づいてくれなかったね。


 で、終電だからいい加減帰ろうということになって、外に出ると雪がチラついていたんだよ。僕らはそんな中、じゃあ、よいお年をみたいなことを言い合って別れたんだ。これがナカタさんじゃなかったら、ずいぶんとロマンティックだったろうけどね。


 その後3ヶ月間その会社で働いたわけだけど、どうも僕の記憶の中では、ナカタさんと国分寺の駅で別れたというこの記憶が、この会社の出来事としてのクライマックスとして残ってるんだよね。つまりさ、僕が言いたいのは、2001年の12月に、職場のおっさんとの別れ際に降っていた雪を今でも鮮明に思い出せるってことだよ。このナカタさんとの話は、昔一回書いてるんだけど、どうもうまく描写できないんだ。多分今回もできてないと思うんだよね。これがもっとうまく君に伝えられるようになったら、僕も一人前になったってことだろうと思うね。