能登の心得


 東京の人が地方の地理、特に位置関係に弱いように、金沢の人も能登や加賀のことには明るくないんだ。でもこれはしょうがないことだろうね。道路や線路でも中央へ向かうことを「上り」と表現し、逆は「下り」と言うからね。人は常に上を向いて歩いている生き物だから、「下り」方面の知的好奇心はなかなか芽生えないものだよ。


 でもね、だからこそあえて能登に行ってみたんだよ。


 当初の目的としては、能登半島の最北端にある禄剛埼灯台(ろっこうざきとうだい)と、小学校の頃に宿泊体験と称して出かけた能登少年自然の家、そして能登大橋。この3ポイントを巡ろうって企てだったんだよね。で、まあ車をブウブウ走らせて、というかカーナビに操られるがままにアクセルを踏んで金沢から北上するわけさ。でね、道すがらいろんなものを見つけたり、発見したりするわけさな。例えば、にぎわっているのかいないのかよくわからない能登空港に立ち寄ってみたり、思いもよらない昭和風の田舎道を進むことになったり、レトロな看板や意味深な標識なんかを見かけたりと、この辺がドライブの楽しい部分なんだけど、一転、ジレンマでもあるわけさ。つまりさ、道すがら何か変わったものを見つけても、なかなかそれに触れることができないんだ。触れるというのは比喩的な意味も含めてだね。だって、何かを見つけて「おっ」と思うのは時間にすればほんの一瞬だし、そもそもドライバーは一瞬くらいしかよそ見はしてらんないわけだからね。この辺が、青森の五所川原あたりをうろうろしてたときとは、まったく違う感覚なんだよ。一口に「田舎に行ってみた」と言ってもね。


 そんでまあ僕が思うに、能登というエリアは加賀とはまったく質の違う「田舎」を感じたね。そもそも地理的にも、加賀はまだその先には福井や京都と続いているというような文化の風通しがあるように思うのだが、能登はその先には何もないという行き止まりに位置してるわけさ。桃鉄にしても、カード売り場がなければ絶対いかねーよって場所だし、とにかくもう、時間というものを、うどんを引き伸ばすみたいにしてのっぺり、だらーんとさせたように「のんびり」してるんだよ。陸続きのはずなのに切り離された離島のような雰囲気。ある意味、ハワイとも似たような空気はあったかもね。これ以上外には何もないみたいな。


 だからこそ、日帰りには向いてない場所かもしれないね。時間を忘れるくらいの時間ができたら、また行ってみようと思うんだよ。