ドストエフスキーの魂



『悪霊』ドストエフスキー


 まんがで読破シリーズで、ドストエフスキーの作品を読むのは3作目になるけど、いやはや、深いね、ドストエフスキーは。さすがだよ。この陰湿で容赦のない展開がね。


 で、当然、この人、といっても、なかば歴史上の人物のような存在なわけだけど、ドストエフスキー氏の素性が気になったんで調べてみたんだよ。時代としては19世紀。もう2世紀も前の世界を生きていたわけなんだよ。ゴーゴリ、トゥルゲーネフ、トルストイチェーホフなんかと一括りにされるロシア近代文学の巨匠というわけさ。といっても、この人たちがどれだけすごいかは、よく知らないんだけどね。ダザイがチェーホフを敬愛してたことくらいしかピンとこないね。


 で、君がもし学生時代にちゃんと勉強してれば知ってると思うけど、この時代のロシアってのは、とても興味深いんだよ。西ヨーロッパの各国が自由主義的政治体制を整え近代化していくなかで、ロシアだけは近代化に失敗し、世界に取り残されていくという暗い分岐点の時代なわけさ。ちなみにこの頃の日本には黒船ペリーがやって来て200年続いた鎖国体制も崩れているんだ。アメリカでは南北戦争が勃発し、リンカーンが何とかの何とかのためのっていう有名な演説をした頃だね。つまりさ、世界のシステムや価値観が、今僕らが生きているこの姿に向かって大きく変わろうとしていた時代だったというわけだよ。


 でもね、そんな中、ロシアは相も変わらず皇帝(ツァーリ)の権威と農奴制という奴隷制に似たシステムに固執してたわけさ。まことに恥ずかしいことにね。そんな負の時代にあって、唯一ロシアが輝きを見せたのが先に挙げた文学者達なんだよ。歴史的な背景はもちろんのこと、地理的にも厳しく、そして永遠に続くかと思われるような冬を過ごさざるを得ない状況のなか、1日中、「生きる」ことや「死ぬこと」そして「神」について思想してたんだろうね。そして、それを古代ギリシア人のように小難しい哲学にするのではなく、長い物語にしたためたと。そんなところから生まれた文学だから、200年経った今でも評価されるんだと思うね、この時代のロシア文学というものが。


 ちなみに今の北朝鮮にも、19世紀のロシアと似たようなポジションを感じるのだが、いつか北朝鮮の文学が世界から拍手を贈られる時代が来るのかと考えてみても、苦笑いをするのが精一杯だろうね、悪いけど。


※参考
◆19世紀中頃のロシア<世界史講義録
◆ドストエフ好きーのページ
◆ロシア文学