おまいらは黙って桑田さんの話を聞け

◆気が付く桑田真澄公式サイト


友へ

おはよう!
元気ですか?
僕は、読書、読書、勉強、勉強の毎日で、少し目が疲れ気味です!
体を使う野球の練習も疲れるけど、脳を使う勉強も疲れるよね。
(中略)


ダラダラと長時間、意味のない練習をしている時間があるのなら、
効率的、合理的な練習メニューを考え、
短時間集中型の練習をして、残りの時間を勉強や遊びに充てるべきですよ。
成長過程で、学生時代の勉強と遊びは、大切な要素なんですよ。

何事も、バランスが大事なんですよ。
レーニング、栄養、休養のバランス。
野球、勉強、遊びのバランス。

それに、人間は、溜め込むことはできないんですよ。
投げ込み、打ち込み、走り込み。
すべて迷信です。
「気が付いてください」
昔を思い出してください。
投げ込みして、何が溜まりましたか?
走り込みして、何が溜まりましたか?
打ち込みをして、どうでしたか?
溜まったのは、疲労だけではないですか?

そんなに身体に負担をかけなくても、
少しずつ、コツコツと積み重ねていけばいいじゃないですか。
食事だって、3食毎日食べるから健康でいられるんでしょ?
一度に1カ月分食べると体壊れますよね。
(中略)


今までは、どうでもいいんですよ。
大事なのは、これからです。
人は、いつからでも、どこからでも、何度でも変われるんですよ。
やり直してみませんか?

落ち着いたら、指導者について、本を書こうと思う。
興味があったら読んでみてください。
いつになるかわからないけど・・・

それでは


 いやぁ、ひさびさのブログ更新にまじ心躍ったね。そして桑田さんはいいこと言うよ、まったく。「人間は、溜め込むことはできないんですよ」って言ってるけど、実は僕もなんとなくそう思ってたんだよ。僕はなんとなくだけど、桑田さんはちゃんと「気付いて」いて分析できていたという点が、僕と桑田さんの大きな違いだね。ちなみに僕がなんとなく思っていたというのは、中野〜哲学堂のあたりをランニングをしている時分に感じるようになったんだ。僕はね、ランニングをする際にはタイムを計るわけだけど、ラスト・スパートはしないという自分ルールを設けていたんだ。というのはね、ラストの数十メートルをこれまでとは違う気合いとペースで駆け抜けてしまっては、そこに至るまでえっちらほっちら走ってきた5キロなり6キロは何だったのかわかんなくなってしまうと懸念したんだよ。僕はね、走ることをはじめてから、「ある一定のペースをどれだけキープし続けられるか」、それがその人の持つ力であり存在感だと信じるようになったんだよね。そして、人生におけるすべての物事も同じだ、ってね。少し大袈裟かもしれないけど、そう思うようになったんだ。つまりさ、桑田さんの言葉を借りて言うなら、最後の数十メートルの駆け込みで出たタイムが自分の実力だと思うと、どこかで勘違いして痛い目にあうような気がしてならないんだよ。「俺は最後に本気出せばこれくらいできる」みたいな。でも僕は最後に疾走するパワーが残っているくらいなら、そのパワーをうまく均等に分散して5キロなり6キロを走ることを目指してたんだよね。多分、この考え方は桑田さんの言ってることと兄弟関係くらいの近いものだと思うよ。


 てか、桑田さんの本ってすごく興味があるよね。出たら絶対買うと思うな。ところでさ、胸にでかでかと「桑田」と書かれたユニフォームは、いったい何なんだろうかね。