所属するコミュニティ、上下関係、「普通」


 振り返ってみると僕は東京にいるとき、自分の都合のいいコミュニティばかりに属していた気がするんだよ。サークルに入っても先輩後輩とかの間柄がめんどくさいと思ったあげくついには同学年の人との付き合いも煩わしくなったんで、自分の気の合う仲間とだけつるんでたんだよね。で、結局サークルも行かなくなったったし。その後も、就職することもなくバイトだったし、あげくバンドマンばっかのバイト先だったから、先輩後輩の関係もゆるいもんだったしね。んで、ちゃんと働きはじめた仕事先も、3人ほどの少人数の事務所だったり、上司部下という関係性の薄いところだったりとね。



 で、さらに振り返ってみると、中学のときの部活にその原点があるわけさ。僕らの代は先輩よりもでかい顔してて、後輩とは別に会話する必要もないし、競争はもちろん、何かを教えたりってことも皆無に近かったね。というのも僕らの年は、全国大会が地元金沢であるってんで、この学年だけ優遇されてたんだよね。金沢市の中学バレーボールの係りの人が、何をするにも第一番という扱いをしてくれたんだ。この体制に、後輩はもちろん、先輩も萎縮してたところはあると思うね。だから僕らは、練習こそは厳しくとも、上下の人間関係に窮屈な思いをすることはなかったんだよ。ちなみにこういうことってよくあるんだよね。例えば、今年の夏の甲子園新潟県代表の日本文理高校が活躍したけど、今やってる国体は新潟県でやってるんだ。だから、今年高校3年生になる新潟の子らは、結構前から強化指定学年みたいな形で県が金をかけて鍛えられてきたはずなんだよ。2007年の佐賀北だってそんな感じだね。2007年のインターハイ佐賀県開催だったんだ。だから、そういう年代の選手は、先輩よりも期待されてるという自覚と自負を持って練習してたはずだよ。


 まあとにかくさ、僕はこれまで、「なんでお前なんかと」という人間とは付き合わなくてもいいような人生を送ってきてたんだよね。でもね、普通、そんなことは許されないわけだよ。先輩後輩、上司部下、近所や町内会、親戚うんぬんとね。特に田舎は属するコミュニティを好き勝手選べるほどの選択肢もないから、そこで発生する人間関係は受け入れるしかない部分が大きいんだ。


 別に僕は、この人間づきあいに文句を言いたいわけじゃないんだよ。つまりは、僕も「普通」になってきたんだなと自覚してきたということだね。世の中、そうそう自分の都合のいい場所なんてないんだなって。その場の居心地をよくするには、自分の立場を確立させる努力が必要だってことだろうね。