嫌われるのが厭だというチキンな話


 昔さ、2チームの草野球チームに所属してた時期があるんだよ。1チームは毎週ずっと続けてたチームで今でも付き合いがあるチーム。もう1つは不定期でやってて、今はもうまったくコミットしてないんだ。その不定期でやってたチームの話をするよ。


 そのチームはね、職場を中心に「ちょっとやってみようじゃないのー」みたいなノリで結成されたチームなんだよ。まあどの職場でも「野球チームつくろうよ」って話は出ると思うんだけど、それが実現したケースを考えてくれていいよ。僕はその職場の人間じゃなかったけど、まあいろいろあって加入することになったんだ。で、そのチームは、職場が母体のチームにありがちなんだけど、素人が多かったんだよ。まあ僕も素人に毛が生えた程度のレヴェルなんだけど、その僕から見ても素人が多いチームだったね。つまり野球といえばキャッチボールとバッティングセンターってくらいの人ってことだよ。



 でね、僕は野球チームに限らず、それこそ職場でもバンドでも部活のチームのときだってそうだったけど、いちいちチームの方針や個々人のプレーなんかに意見したり指示を出したり文句を言ったり、ましてや激を飛ばしたり怒鳴ったりってのはしないタイプなんだよ。「言われた通りやりますよ」って、兵隊や歯車みたいなプレーヤーなんだよね。でもね、そのチームで野球をしてると、どうもやることなすこと効率悪いし半端な部分も多かったから、いちいち口出しするようになっていったんだよね。もともとは部外者だから、隅っこの方でキャッチボールをしたり、黙ってノックを受けたりしてたんだけど、しばらくするとどんどん中心部に行って、「じゃあ次どうしようか」とか「そりゃないでしょ」って言わずにおれなくなったってことだよ。「ただ捕って返すだけなら、外野は1ヶ所でノックした方が良くないっすか?」「フリーバッティングなのにストライク投げられないならピッチャーもっと前から投げろよ。え? 本番を想定してるから厭だ? だったら家で練習してこいよ。まわり見てみろよ、バッターも守備もみんな暇なんだよ」「てか、草野球なんだからデッドボールでなにメンチ切ってんの? 楽しくやろうぜ、みっともねー」「“盗塁するな”ってサインの意味がわかりません」「監督、1アウトランナーなしで2球続けて“待て”のサインって意味あります? てか、そもそも“待て”のサインが多すぎですよ」「女の子にファーストやらせちゃダメでしょ。送球の的として小さすぎるし、そもそもランナーとぶつかったらどうするんですか」。まあ僕じゃなくたって突っ込みたくなるようなことばかりだけどね。


 でね、そのうち連絡がなくなって空中分解するようにチームはなくなったわけだけど、その後何年かして僕が金沢に戻ってから「またやろうよ」って連絡が来たんだ。もちろん断ったけどね。まあとにかくさ、そこで野球をしてたときの自分ってのは何だったんだろうなって思うことがあるんだ。僕の人生において、自分があれだけ率先して前に出ていって、あれこれ意見したり文句を言ったことってそうないんだ。というより、あのチーム以外にはまったく思い出せないね。僕は他人にあれこれ指図することが大の苦手なんだよ。つまりさ、リーダーシップってものが皆無なんだ。春先のドングリの実みたいに、どこを探してもないんだよ。他人に何かを教えるってのも毛虫のように嫌いなんだよね。


 でもね、人間歳をとってくると、そういうわけにもいかないわけさ。いつまでも兵隊でいるわけにはいかないんだ。指揮をとるポジションで力をつけないといけない。そう考えると、思い出すんだよね。なんであのときはできて、今できないのか、って。そのチームは掛け持ちのヘルプの気分で参加してたから、いわゆるひとつの「チーム愛」みたいのもなかったのに、どうしてあれだけ改善しようと意見を言えたのかってね。


 でね、今思うと「別にどうなったって、この場所がなくなったって構わないし」って他人様の立場であり、「別にこいつらに嫌われたって構わないし」って距離感があったからだと思うんだ。僕がこれまでの人生で他人に意見をしないのは、嫌われるのが厭だというチキンな自分がいるからだよ、それは認めるね。「大島はいちいちうっせーよ」って思われるのが厭だってね。でも、よくよく考えると、本当に言いたいことを言わずにふわふわしてる人間は、嫌われはせずとも信用はされないってことに気づいたんだ。一方あれこれと指示を投げてときにはめんどうで厳しい意見を言う方が、もちろん嫌う人間はいるだろうが逆に信頼してくれる人からは強い絆が生まれるだろうなって。つまりさ、これが新しい課題だと思うんだ。「いちいちうっせーよ」と嫌われる人間にならなきゃいけないってことがね。