その腹の中にあるものの話


 きのうの話の追加だよ。ヘルプで参加してた野球チームにいたときの話ね。


 そのチームは野球経験者が少ないって話はしたよね。だから少年野球止まりの僕でもでかい顔ができたわけさ。で、練習してるうちに「なんだコイツら、やる気あんのか?」って思うようになったわけさ。一から十までへらへらしやがって、みたいに。でね、練習に参加するのも億劫になっていったわけだけど、野球することが好きだし、もう1つのチームでいいプレーをするために練習しておきたいって気持ちもあったから、ほぼ毎回参加してたんだよね。その頃は土日が休みだったから、時間はなんとでもなったわけさ。


 で、そんなある日のことだね、当時国分寺に住んでいたんだけど、国分寺にあるバッティングセンターの前を通りかかると、そのチームのメンバーの1人がいたんだよ。彼はまったくの素人なわけだけど、やっぱり、どげんかせんといかんと思って練習してたんだと思うな。ほう、と思ったんだよ。隣のゲージの小学生の方がよっぽどいいスイングをしてたわけだけど、彼は僕が見る限り2回続けて打ち込みをしてたね。



 このシーンってのは、今でも鮮明に覚えてるんだよね。僕は、そのチームのメンバーをけっこう見下していたんだ。なんだコイツらって風に。でもね、そのとき少し考え方を変えないとなと思ったね。チャラチャラしてたり、ヘラヘラしてたとしても、実際にその人の腹の中にある気持ちってものは別なんだろうなって思ったんだよ。まじめに見えないってのは、照れ隠しであったり、どうしていいかわからない結果、出てしまったものであって、それがその人の意気込みすべてを表すものではないってね。で、その腹の中にあるものを、引き出せるか否かが、指揮官の力量であったり、チームの雰囲気ってものなのかなって。


 今でもね、こいつはやる気もなさそうだし、影で勉強したり努力してるようにも思えない、だったらもう辞めろよって思っちゃうことがあるんだ。自分のまわりの人でね。でも、その人が心の底から投げてるかというと、そんなことは傍から見てるだけじゃわからないんだよ。もとより、自分が、その人の「やろう」と思っている気持ちを発揮させる場や環境をつくりだしているのか、チャンスを与えてるのかって自問自答するようにならないと、と思ったんだ。人は見かけになんとやらってやつだよ。