大晦日だから、カニ味噌の話


 僕はね、周知の通りエビ嫌いとして有名だけど、カニは好物だったんだ、昔から。まあ今となっては、エビもある程度は食えるけど、昔はまったくだめだったね。でまあ、今回はエビではなくカニの話なんだけど、そういうわけで、カニは昔から食卓にのぼることはあったわけさ。でね、小学校くらいの時分、カニの足の食べやすい部分が分け与えられて食べてたんだけど、カニなんて食べる部分が少ないから、自分の分を食ってももっとないかと催促するわけさ。すると胴体の部分が出てくるわけだけど、なんか白い身が汚れてるんだよね。まあその正体はカニ味噌なわけなんだが、なんか気色悪いからいらないって展開になるわけさな。僕はその頃から神経質だったからね。すると、親父は笑いながら「カニの何が美味いって言ったら、カニ味噌だよ」とか言うんだよ。「そのカニ味噌をいらないとか言うなら、俺が食う」とか言うわけさ。でもさ、カニ味噌なんて、見るからに食欲なくすような塩梅だよね。頭の悪いカニ間違って食べた泥みたいにも見えるし、じっと見てるとのようにも思えてくるしね。でもまあそんなに美味いというなら一口食ってみようと、箸をつけてみたんだけど、やっぱり泥みたいな味しかしないんだよね。感じ様によっては糞のようにも思えてくるくらいだしね。まあ、泥も糞も食ったことないから正確なところはわかんないけどね。


 で、親父は「まあそのうちこの美味さが分かってくる」的なことを言うわけさ。この親父の「そのうちこの美味さが分かってくる」というセリフはずっと覚えていて、中学のときとか高校のときも何度かカニ味噌をなめてみたけど、やっぱり泥みたいな味しかしないんだよね。感じ様によっては糞のようにも思えてくるしさ。まあ、泥も糞も食ったことないから正確なところはわかんないけどね。


 で、そのうち東京で一人暮らしをするようになって、たまに実家に戻ってきたときも同じようにカニ味噌を食ってみるけど、その美味しさってもんが理解できなかったんだ。


 んで、終いにはもうどうでもよくなったんだよね、カニ味噌なんて。そのうちとか何とか言っても10年くらい経ったわけだから、もう肌に合わないんだろうなって。どうせ、泥みたいだし、見ようによっては糞みたいなもんだからね。


 でさ、そんなわけでカニ味噌のことなんて忘れてしまうわけさ。もう少し正確に言うと、カニ味噌を、いつか親父のように美味い美味いと言って食ってやろうという思いが消えてしまったということかな。多分、二十歳過ぎくらいのときだと思うけどね。



 で、それからまた何年か経って、親父に癌のようなものが見つかって、わりかし致命的なものだったけど、それでもしれっと生きながらえていたんだけど、結局、最初に医者が告げた余命と同じようなタイミングでいなくなってしまったんだよ。医学というものの精度の素晴らしさ、それと同時に存在する残酷さを知ったね。


 キャンサー。


 でね、はっきりとは覚えてないけど、その後どこかでカニを食う機会があったんだ。で、そのときになって「ふむカニか、カニ味噌か」と、そう言えば、カニ味噌がいつか美味しいと感じるんだろうなと気にかけてた時分があったなと久しぶりに思い出したんだよ。だからね、どれひとつ久しぶりにチャレンジしてみようかとカニ味噌を食ってみたんだ。軽い気持ちでね。


 するとね、とてもね、美味しいなと感じたんだよ。掛け値なしにね。


 ああ、親父はこのことを言ってたんだなって。ああ、このことかよって。これは美味いよって。で、まあ、世の中こんなもんだろうなって思ったよ。遅いんだよ。今更ってね。


 僕がどうしてずっとカニ味噌のことを気にかけてたのか、そんなことは今となってはわからないし、親父に対して確かにカニ味噌は美味いねと言いたかったのか、その美味さを共有したかったのかと訊かれても、はっきりとは答えられないんだ。ただね、事実として僕は小さい頃に親父に言われた「いつかカニ味噌を美味しいと感じる」という会話をずっと覚えていて、でもそれがわからなくて、でも親父が死ぬのと入れ替わるようにカニ味噌の美味しさがわかるようになったって、そういうことなんだよ。事実としてね。だからね、僕はカニ味噌が大の好物なんだ。こんな美味いもんが他にあるかってね。