3年生を送る会、ゆとり、厳しい環境、


 3年生を送る会ってのがあったんだ。3年生を送る会ってのは、部活を引退し、かつ学校も卒業した3年生を送り出す会のことだよ。だから、3年生を送る会って名前になってるんだと思うよ。実にわかりやすいネーミングだね。まあこういう行事はどこでもやってると思うけどね。


 でね、この3年生と僕の馴れ初めでも説明させてもらうよ。この学年は、ちょうど去年の今頃まで、つまりは2年生だった3月までは前任の先生の元、厳しい練習をしてきた連中なんだ。だから、それなりにしっかりしてたんだよ。技術的にも身体能力的にも精神的にもね。でも、青天の霹靂で、人事異動があって先生が代わり、今年度の4月からはまったく練習が適当になってしまったために、僕が「外部コーチ」なる肩書きで練習に出るようになったってわけさ。僕にとっては「きっかけの世代」なわけだよ。僕と3年生は3〜4回くらいしか一緒に練習してないんだけど、思い入れはあり、一方では、基礎的な部分も応用的な部分も完成してたので、もっと勝たせてやることができたのにという後悔の念が大きいわけさ。



 で、保護者と話をしてて、聞いたんだけど、今年度の中学3年生は、完全ゆとり世代の1代目ということらしいんだよ。つまり彼らがちょうど小学校1年生になった2002年度から例の「ゆとり教育」が大々的に実施されたってわけさ。だから途中から「ゆとり」になったのではなく、最初から「ゆとり」として教育を受けたってことだね。


 でもね、僕はいわゆる世間一般的な「ゆとり」という部分は、あまり感じ無かったよ、彼らからはね。それよりも、よっぽど職場なんかで出会った若者の方が「ゆとり」だなって思わせてくれるよ。まあもちろん、そこには中学生というまだまだ未完成な人間だから、これからもどんどんどんどんいろんな形での成長をすることで、二十歳くらいになったら「ダメだこりゃ」となっちゃうのかもしれないという不透明な部分はあるんだけどね。


 でもね、僕は思ったんだけど、やっぱり厳しい環境、まあ今の場合はハードな部活ってことなんだけど、そういう状況下を過ごした人間ってのは、どんな人間であっても、良くも悪くも似たようなオーラを持つようになる気がするんだ。「まわりにいる人間が、応援してあげたくなる」って雰囲気だよ。これは、世代とか時代とか関係ないと思うね。だからね、理不尽なくらい厳しい部活ってのは、世の中からなくしてはいけないような気がしたんだよ。僕が尊敬する立浪氏も、よくこういうようなコメントを書いているけどね。こういう、ゆとり世代にあえて厳しさを教えることの重要さを知った1年だったな。


 でさ、副キャプテンだった子にアドレスを教えたら、メッセみたいな短文でがしがしメールが来るんだよね。それこそつぶやきレベルで、返信に困るようなものとかね。まあ、この辺は、幼くて、今時で、ゆとりな感じがするんだけどね。


 まあとにかくさ、僕のような人間が中学生の指導という立場を与えてもらい、この1年で得たものはとてつもなく大きいし、新しい発見と共に価値観ががらりと変わったことが数えきれないくらいあったんだよ。3年生を送る会で、それを再認識させてもらったよ。ありがとう、3年生。