Twitterユーザーと非Twitterユーザーとの温度差をなくすこと


 Twitterで僕がフォローしてるのは、面識のある人間がほとんどだということもあってか、タイムライン上で否定的だったり、どんとネガティブだったり、揚げ足を取るようなコメントはほとんど見かけないんだよね。君のタイムライン上はどうなってるか知らないけど、Twitterのつぶやきには、いちいち強い希望をもらってるんだよ。だから、僕は良い友人知人を持ったことに感謝しなければいけないね。


 その甲斐あってか、僕が今回の震災で感じたことのひとつとしては、140文字という制限のある中で、力強い言葉や画象に信じられないくらいたくさん出逢えたことなんだ。皆日本が大好きで、日本に誇りを持ってんだなって、それを再認識したんだよ。Twitterを見てて、そう思ってる人は多いと思うな。



 で、ここ数日そんな風に感じてたんだけど、今日、あまりネットに詳しくない人が言ったことで、はっとしたんだ。「この震災で日本はどうなるのだろうか? ますます不景気になってどうしようもなくなるんじゃないだろうか?」ってね。Twitterばかり見てた僕は逆に驚いたんだよ。あー、こんな後ろ向きな見方もあるんだなってね。


 テレビや新聞を見てると、やれ壊滅だとか、やれ犠牲者は何人超えたとか、やれ家族が見つからないとか、やれまた爆発だとか、やれ停電だとか、もちろん全部が全部とは言わないが、緊急速報や一面記事ではそんなネガティブなものばっか目について、確かにこりゃ不安になるよなって報道が多い気がするんだよね(もちろんそれが紛れもない事実なのは百も承知だよ)。だからさ、震災の情報が、テレビや新聞などごく限られたものでしかない人は、今世界中の人々が日本にエールを送り、がんばろうと意気込んでいるということを、Twitterユーザーほど強くは認識してないんじゃないかなと思ったんだ。


 確かに、僕は(今のところ)何ら被害も制約もない地域で生活をしていて、当然、家を出て自分の好きな交通手段で移動することが可能で、コンビニで物を買うことも、朝晩照明の元で食事をすることも問題なくできる。で、その合間にiPhoneをぽちぽちやって見つけた誰かの力強いメッセージに感動してるだけなんだ。言ってみればすこぶる都合の良い立場なんだよ。映画館でクライシス映画を観てるような感じでね。でも、悲惨な事態というのが、今の日本の根源であることは否定のしようがないわけで、そう考えると実際問題、どちらの日本がリアルなんだろうか、と疑問にも思えてきたわけさ。今まで通り誰かの言葉に感動し続けても良いのか、もっと危機感を持つべきなのか、ってことでね。



 でもね、結論としては、やはり僕はTwitter内で展開してる世界が正しいと信じることにしたんだ。重要なことは、希望を持ち続けること、そして、それを信じて動くことだからね。不安になってもTwitterを開けば、強い仲間がいることは確信できるから、お次は勇気を出して動けばいい。僕のいる地域であれば募金、献血、どこかしらの団体を通じての支援物資援助かな。他にもあったら教えてくれよ。行方不明の家族を探す人に密着した映像を見ることで何かが生まれ、何かが変わりはしないんだ。負のエネルギーは人を萎縮させる。北風と太陽の話のようね。


 だから、もっと明るいニュースを、有意義な情報をTwitter上で見つけたいね。そして、それに勇気づけられたならば、リアルなつぶやきとアクションで、Twitterを使ってない人や一部のネガティブな人の視野も変えていかなければいけない。Twitterユーザーは、そろそろ非Twitterユーザーに、リアルなつぶやきを届けなければいけないことに気づくべきだと思うよ。