『名門大学の「教養」』感想

■名門大学の「教養」>はじめに 爆笑問題 太田光


(前略)
 番組の中でも話題になったが、学問とは「感動」である。「発見」による「感動」。この「感動」がわれわれの「好奇心」を刺激する。人間はこの「好奇心」を抑えきれずにさらに「学問」にのめり込む。


 これは例えば、強い「恋愛感情」と同じである。相手をもっと知りたいという好奇心。もっと別の状況で、別の言葉を投げかけたら相手はどう反応するだろうという「疑問」と「想像」。実際に相手の反応を見たときの「発見」と「感動」。そしてさらなる「好奇心」。「教育」とはその「感動」を伝えることではないか。何も教師でなくても、われわれは日常でそれを繰り返している。映画や文学や音楽に強く感動したとき、無性にその気持を誰かに伝えたくなる。
(中略)
 私は教育とは、これと同じことだと思う。つまり「感動」の伝達だ。教師とは学問による感動を強く伝えたいと願う人たちで、その伝え方に慎重な人たちである。
(後略)


 TV番組の書き起こし本なんだけど、かなり読み応えがあってグッドだよ。まあ、だいたい想像はつくだろうけど、爆笑問題の太田がいちいちトークを茶化してる部分が多々出てきて、それを文章で読むとなると思いのほか煩わしく感じるんだけど、まあそれを差し引いてもグレイトだよ。


 でね、「感動」ってことに関しては少し前にも触れたけど、実はこの本を読んでるときに「はっ、そうだ感動だ。僕も、そして世の中も今必要としているのは感動なんだ」って気づいたんだよ。いや、決して大袈裟な話じゃなくてね。


 でね、僕がちょうどこの本が舞台になってる学生と同じような年齢のときは、ずっとバンドをやっていたんだけど、その頃、演奏していた曲に「奮えるような感動はもうしなくなった」って歌詞が出てきて、それに対して少しだけ感動した覚えがあるんだよ。「ああ、確かに最近、昔みたいに感動することが少なくなったな、うむ」って具合にね。で、今考えるとそんな風にたいした感動もない生活を送りながら音楽なんてやっていたから、鳴かず飛ばずで終わってしまったんだと思うんだよね。まじめな話ね。まあとにかくさ、二十歳過ぎの僕はとても斜に構えてて、世の中を冷めた目で見てたんだよね。クールだってことじゃないよ、ドライに接していたってことだよ。だから、目の前や手の届くところにある感動にもさっぱり気づかずに生きいていたのかなと。事実大学も辞めてるわけだし、やっぱり感動がないから学問とか教育にも関心がなかったんだろうね。


 つまりね、僕が言いたいことはこういうことだよ。二十歳前後のとにかく自意識過剰で恐い物知らずで生意気盛りの若さってもんは、世の中の出来事にいちいち感動することを拒むんだろうなって。でね、自分の才能や努力のことばかりに感動するんだよ。だから、とても限定的で局地的で自分にとって都合の良い、的のちっちゃい感動なわけだよ。ということでさ、そういう時期に教育を受けるってのはふさわしくないのかもなって。否、ふさわしいタイミングじゃない人間が多いんじゃないかって思ったんだよ。一時的に知り合った先生や誰かが伝えようとしている「何か(感動)」なんかには興味はなく、気の合う仲間や自分が尊敬する有名人が口にする「何か(感動)」だけを強く求めていたんだ。そんな意識じゃ、何も学べないよね。だからね、とにかく好奇心のかたまりである小さい子どもの頃か、ある程度失敗や挫折から自分の器の大きさを自覚し、何事も素直に受け入れられるようになった大人になってからが、感動ってもの、そして学問、教育ってものを充分に享受できる時期なんじゃなかろうかってね。


 でもね、自分が大学生だった時期に幅広い感動を逃していた過去は意味のあるものだと思ってるよ。なんでかっていうと、だからこそ今ここで感動に飢えてて、現状はたいして興味のないことや、昔だったら見過ごしてきたことにも感動を求めるよう意識してるわけからね。取りこぼしたものを取り戻そう的な。学生の頃ってのは、多くのミステイクをしてくことって重要だよね。いや、まあ今の自分だって10年後20年後に振り返ってみれば、まだまだ度量の狭いハンパな時期だったな、アホなことをしていたなと思うんだろうけどさ。まあこういうのもひっくるめて、学問とか教育なのかもね。


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