空気を読み過ぎると、空気みたいな存在になる

◆なぜいまどきの大学生はバカなのか<bluelines (2011.09/06)


(前略)
「どうしていまどきの大学生は、面接の場で自分の頭で考えたことを表現することができないのか?」

最も大きな原因の一つは、「自信の無さ」あるいは「怯え」ではないかと思う。
(中略)

ではなぜ、大学生はそんなに怯えているのか。外的な要因と内的な要因が考えられる。外的な要因としては:

1. 生まれた時から不景気で、周りに「やりたいようにやって社会的に成功した」モデルがいない

2. 子供の頃から「ゆとり」と揶揄され続けている

3. 就職氷河期。新卒採用を逃したら人生終わり、と脅されている

4. 可視化された同調圧力

などが思いつく。1〜3は自明と思われるので、4について。ここ最近のテレビ番組で僕がとにかく気になるのが「ワイプ」の乱用である。画面端の矢口真里が、「ここは笑うところですよ」「ここは泣くところですよ」「これはスベってますよ」とシグナルしてくる、あれが非常に邪魔臭い。「あなたはどう感じるべきか」を規定しようとするような、すごく不気味な同調圧力を感じる。そもそも同調圧力には定評のある日本社会である。その上テレビという娯楽においてすら、「この人と同じように感じなさい」というメッセージにどっぷり浸けられてきた世代。彼らが、自分がどう感じたのか、どう考えるのかを述べるのが怖いのは無理もない事に思える。
(後略)


 テレビの「ワイプ」や大袈裟な「テロップ」が登場しはじめて、そしてすっかりそれがテレビのスタイルとして定着した頃から、「空気を読まない」なんて言葉が登場したように思うんだよね。つまりさ、ここに書かれている通り、「同調圧力」ってものが、普段の生活の中にまで強く浸透してきたってことだよ。「ここは笑うところですよ」って「空気」なのに、笑わない人間を蔑む文化が定着しちゃったんだろうね。おい、お前、同調しろよと。


 でね、僕はこの記述を読んで、「うあぁ、テレビの影響力って恐いな。放送の仕方ひとつで国民の思考能力が変わっちゃうんだな」って思ったんだよね。でもね、よくよく考えてみるとね、テレビを見てなくたって僕も似たようなことをやってるんだよね、ネットの中で。つまりさ、「自分がどう感じたのか」という考えをまとめる前に、他人の顔色をうかがうクセがいつの間にかついちゃってるってやつだよ。具体的に言うとね、「はてなブックマーク人気エントリー」を読むとき、「みんなのブックマークコメント」を読んでから、そのメジャーな方の意見に賛同するように自分の考えをまとめちゃうんだよ。自分がマイノリティーにならないように、答え合わせをするような感覚でね。



 テレビもネットも、メディアとして圧倒的大多数の人間に向けて情報を発信してるんだよね。だからね、これだけ情報化社会が進むと、多くの場合において「長いものには巻かれろ」というセオリーがガッツリ鉄板化するんだろうね。だから、僕らはついつい大衆の側につきたくなる。どこかの国々のデモのように、数が大きな力を持つ時代なんだよ。つまり、この先もしばらくの間は、たとえバカだとか個性がどうのとか言われようとも、大勢が良しとするやり方に従って生きた方が無難なのかもしれないなと思ったよ。