金沢ジャズストリート2011を観て


 もう終わってしまったイベントを紹介しても仕方ない気がするけど、「金沢ジャズストリート2011」は、とても良いイベントだったと思うね。というか、19日に出演した2〜3のバンド、グループしか観てないけどね。


 ちょうど僕が観たのは、小中学生のジャズ・バンド「ONTANO」とそのシニア分的な中高生くらいの「JAZZ-21」、そして東京工業大学の「R.G.C」というバンド、んで「K-WISH」という一般のゴスペル・グループなんだ。偶然にも観た順番に年齢が上がっていってるところがポイントだよ。


 でね、気づいたことがあったんだよ。小中学生と中高生の違いってのは、せいぜい楽器の経験と人前での演奏に慣れているか否かくらいなんだ。で、大学生になると、そこに“表現”が加わってくる。これは切ない恋の曲だから切なさを感じてくださいみたいなメッセージだったり、これは有名なノリのいい曲だからみんなも楽しんでくださいみたいな一体感の訴えだったり、単なる自分の演奏力の誇示だったりと、演奏することで“何か”を伝えようとする表現が加わってくるんだ。で、それと同時に、大学生のバンドはダイレクトに風圧を感じる勢いがあるんだよ。いわゆる「若さ」ってやつだね。やっぱ若いっていいよなって、聴き惚れちゃうってたところはあるんだよ。でもね、そんな大学生の演奏を聴きながらでも「でも、こいつらも結局社会に出たら“今時の大学生”とか言われて、ネットに愚痴書かれるんだろうな」みたいなことが、頭の片隅でチラッと思い浮かんだんだよ、まじで。いい演奏聴かせてもらってるのにね。



 でね、その次に場所を移して駅前から香林坊に出て、見るからに大人達のグループの演奏を聴いたんだけど、これは文句なしに感動しちゃったんだよ。まあ、これは「歌」であって、これまでの学生たちの「演奏」とは、土俵が違うのかもしれないけど、音楽のひとつのいきつくところって、こうなんだろうなって思ったよ。つまりね、自分たちが何をしたいのかが、演奏している彼ら自身よく理解できてるんだよ。オーディエンスに何を伝えるべきなのかが全員完璧に把握できているから、観ている人も空気を吸うように自然と無意識のうちに感銘を受けるわけさ。


 で、歌の中に込められているものの“密度”が違うんだ。小手先のテクニックなんかじゃなくて、これまで経験したすべての喜怒哀楽を、まあ一言で言っちゃうと「人生経験」ってものをいかに自分の生み出す作品の中に込められるか、という上手さ、強さが学生連中とは全然違うんだよね。最終的に演奏力や歌唱力ってのは、この“密度”なんだろうなって思ったよ。まあ、芸術なんてものは全部そうだよね。



 まとめるとだね、普通に生きていればストレスが溜まって、人間の中には「怒」の部分しか蓄積されないのだろうけど、いい音楽を聴いたり、おいしい料理を食べたり、ちょっとした贅沢を堪能して、哀しいことからも逃げずに、すべてをひっくるめて消化することで人間としての“密度”が濃くなるんだよね。それを音楽やスポーツや趣味なんかで発揮、表面化できると、またそれに感動した誰かの人間的“密度”を増すことに役立つわけさ。今日僕は音楽というものから“密度”の塊をもらった気がするんだ。そんなジャズストリート、来年も楽しみだね。


◆金沢ジャズストリート2011〜音楽が溢れる3日間〜


◆K-WISH -GOSPEL- 石川県金沢で活動しています!!