復興と命と食べること

 少し前にテレビを見ていたら、震災にあったどこかの港町の漁師さん達が漁業で復興するぞみたいな感じで出てたんだ。んで、今年もおいしい魚がたくさんとれました、ぜひ食べてください、みたいなことを力強く語ってたんだよね。


 たしかに多くの犠牲者が出てしまったことは残念でならないことだけど、その復興のシンボルとして、海で泳いでいる魚をとっ捕まえて食べることを打ち出しているってのは、魚にしてみればいい迷惑だなって思ったんだよ。まあね、「生き物を食べる」ということに関しては、ありとあらゆる考え方や矛盾をはらんでることは百も承知だけど、なんかこのときは考えてしまったね。



 なんかの授業とか会議とかで「命を大切に」「僕らはみんな生きている」「ペットを捨てる無責任な飼い主がいて、年間●●匹の犬猫が処分されている」などと、神妙な顔をして述べる人間が、ランチの時間に「よし、肉食おうぜ、肉」と笑顔で呼びかけてもOKなんだよ。賛同こそすれ、誰もツッコミを入れないよね。同じ「命」でも食べることで失われる分にはやむなし、ただし、そうでない場合は処罰の対象になる場合もあるくらい尊いもの。もし、この違いを子どもにもわかるように説明しろと言われたらなんて答えればいいのだろうかね。


 で、僕も考えてみようとするんだけど、なんか妙な宗教的思想に入っていきそうで、「命」と「食べること」は、完全に別もの、ゴチャゴチャ言うなってトコに落ち着かせたいんだよね。考えを深いところに落としていくことを拒否しちゃうんだ、なんとなくね。だから、この話にオチはないよ。個々人で考えてみてくれよ。「命」と「食べること」に関してね。