たとえばこんな音楽の楽しみ方

村上春樹 著『意味がなければスイングはない


 音楽というのは生の演奏を聴いてみなくちゃわからないものだなと、そのとき改めて実感した。レコードは便利なものだが、実際に演奏の現場に足を運んでみなくてはわからないこともたくさんある。そしてまたシダー・ウォルトンの音楽のように、小さな親密なジャズ・クラブで、かぶりつきみたいな感じで聴かなくては、その良さが把握されにくい種類の音楽もある。大きなコンサート・ホールで、きちんと正座して聴くタイプの演奏家ではないのだ。彼が作り出しているのは、ひとつひとつの音の動きを目で確認し、その呼吸の間合いを感じ取ることによって、初めてその真価が伝わってくるような、きわめて個人的な音楽なのだ。


 おそらく僕は、今後CDを買ったりライブ行ったりすることはまずないと思う。音楽はデータで購入して、パソコンからヘッドフォンで聴くといったことしかしないだろう。理由はその方が楽だからだ。もちろんこの音楽市場の変化に対してはいろんな意見があるだろうが、別に僕はどっちだっていいような気がする。ジャケットや歌詞カードがない分、味気ない気もするが、代わりに手軽にたくさんの音楽に触れることができる。僕だってメリットとデメリットを把握した上で音楽に金を払っているのだ。文句は言わせまい。


 でも本当に「ああ、いい音楽だな」と感じるポイントと言うのは、きわめて個人的な音楽に触れたとき、これ1点につきると思う。メロディーと自分の感情が共鳴するとか、歌詞が自分の気持ちに何かをうったえかけてくるとか。


 今日、たまたま立ち寄ったお店で食事をすると、店のおっさんのスタッフ2人が「どうだい、よかったら1曲うたうけど、聴いていかないかい?」みたいなノリでギターを引っ張り出してきて、演奏をはじめた。まあ、これと言って上手い演奏だったわけではないし、どちらかと言えば、彼らの楽曲は残念なものに近かった。


 でも、その場で感じる空気とか時間の密度というものには、表現しがたい独特の温度があり、結果的には楽しかったと言わざるを得ない。多分彼らは音楽が大好きなのだろう。それがストレートに伝わってくるのだ。なぜなら、状況的に彼らは僕らのために演奏をしてくれ、物理的に僕らと彼らは2メートルくらいの距離の中にいる。何も感じないわけがない。


 音楽が持つ本当の力とか感動というのは、こういった部分なんだろう。でも、悲しいかな、僕らは、毎日忙しい。音楽はパソコンとiPodで楽しむのがデフォルトなのである。