吉祥寺、三鷹、国分寺


 自転車に乗って吉祥寺に行ってみた。服でも買おうと思ったのだが、特に気に入ったものがなかったので、買わなかった。昔近鉄があったところにヨドバシカメラがオープンしてて、たくさんの人とたくさんの警備員さんがいた。うっとうしかった。


 で、ついでというのもなんだが、そのまま三鷹禅林寺に行ってみた。太宰の墓参りだ。行ってみると、けっこう立派な門がでんとあって、どこか他の家の葬儀かなんかも予定されてる風だった。門の前には「24時間監視カメラ撮影中」みたいなことも書いてある。幾分、その寺の中へ入っていくのもためらわれたが、何人かの人が出入りするのに紛れて、僕も門をくぐった。それに、ここまで来といて、帰るわけにもいかない。


 墓地の入口には、太宰治森鴎外の墓の案内図があり、太宰は「08-05」という番地みたいのが、振り分けられてあった。そして、墓参りの時間は「8:00〜日没」と書かれていた。電話で言われた通り、墓参りは「暗くなるまで」というのが、禅林寺のマニュアルなのかもしれない。もしくは『斜陽』とかけているのかもしれない。


 とにかく僕は墓地の中に入っていく。思った以上に狭いところだった。そして、あっさりと「08-05」にたどり着く。とてもひっそりと、その墓はあった。別にうちの実家の墓と変わりないような、何の変哲もない墓だった。墓石には「太宰治」と書かれており、その隣には、同じく「津島家の墓」と書かれた石もあった。僕が来る少し前にも誰かが来ていたことを示すように、線香が煙をあげていた。お酒の瓶やパックがいくつか置いてあった。蟻やよくわからない虫が、その辺を行ったり来たりしていた。静かだった。


 しばらくして、僕は手ぶらで来てしまったことに気づいて少し恥ずかしくなった。なので帰ることにした。僕が足を一歩踏み出すと、どこかにいた雀達がいっせいに飛び立っていった。それでもやはり静かだった。


 斎場の付近では、この日の午後からの葬儀の準備が行われていた。今日もまた誰かが死んでいったのだ。この人の死を、何人の人が知り、何人の人が悲しんだのだろうかと考えると、なんだか侘しくなってきた。


 で、そのまま自転車に乗って、国分寺まで行ってみた。国分寺に着いてスタ丼を食って、半年前まで住んでいたマンションをたずねてみた。たずねたというより、素通りしたといった方が正しいかもしれないが、僕らが住んでいた「207」号室には表札が掛けられてなかったことは確認した。誰も住んでいないのだろうか。僕がこの部屋を出て行く日、荷物を運び出していたら、不動産の人間が「ああ、ちょうどいいです。今、この物件を見たいというお客様がいるのですが、部屋の中を見させてくれませんか」とやって来て、当然断わる理由もないので、「ああ、いいです」と答えると、どこからかぶっさいくなカップルが出てきて、引越し最中の散らかった僕らの部屋を見て「うん、なかなかいいね」とかいって帰っていったのだが、あの2人は結局ここに住まなかったのかもしれない。まあ、僕としては、自分の後にこいつらがこの場所に住むことにいささかがっかりしていたので、それはそれでよかったのかもしれないが。


 僕はたまに前に住んでいた場所とか街とかを無性にたずねてみたくなることがある。でも、それってとても後ろ向きな姿勢なのかもしれない。昔のことなど忘れてしまうのが一番いいのではないのかと思ってみたりもした。


 で、中野に帰ってきた。自分でいうのもなんだが、4時間足らずで、相当な距離を走ったと思う。