ペドフィリアの憂鬱



闇の子供たち』梁 石日


 幼児性愛者のことを「ペドフィリア」というらしいね。まあ、こんなことを知ったところで、なんの自慢にもならないけどね。


 まあ、世の中にはいろんな趣味嗜好を持った人間がいるわけで、ということは当然いろんな愛の形もあるってわけさな。「同性愛者」とか、最初出てきたときは「なんだよそれ、気持ち悪い」と思ったけど、まあ今となってみりゃテレビや雑誌で見て馴染んでしまったのか特にめずらしいとも思わないもんだよね。まあもちろん、それはメディアへ露出も、ひとつの要因だと思うけど、同性愛者は同じような同性愛者を見つけ、お互いが愛し合ってるのであれば、他人の僕らがとやかくいう筋合いもないってこともあるだろうね。お互いがハッピーならそれでいいじゃないか、ってね。


 ただしね、ぺドフィリアは違うんだよね。ぺドフィリアの愛情は必ず一方通行で、ハッピー・エンドをむかえることはできないわけさ。となると、第三者である僕らは、どうしても差別的な見方をしてしまうし、そもそも犯罪者というレッテルを貼らざるを得ないんだよね。子供とセックスしたい欲望を持ってて、それを実行してる人間に対してってことだよ。


 『闇の子供たち』では、映画でも小説でも、このペドフィリアのエゴが、躊躇なく生々しく描かれているわけさ。これが評価すべき点だね。まあ評価というと失言かもしれないけど、つまりは見所というか考えさせられる部分ってわけさ。曖昧じゃない表現ってのはそれなりにパワーを持ってるってことだよ。売り買いされる子供、それを求める変態、したたかなブローカー。これらの需要と供給がしっかりと描かれているからね。


【以下ネタバレ注意】


 映画を観て感銘を受けたから、原作も読んでみたのだが、正直映画のシナリオ、演出の方が物語として数段よくできていると思ったね。キャラクター設定、プロット、テーマのバランスなどなどね。まあラストに予定調和な部分もみられたけど、それ以外は映画版の圧勝だと思うよ。うん。だから映画を観てほしいね、まじ。まだやってるのかな。もし君がまだこの映画を観ていなくて、どこかの劇場でやってたとしたらとてもラッキーだと思うよ。ロスタイムに決勝ゴールのチャンスが来たって具合だろうね、何かでたとえるなら。