ときにはするめのように



『東京するめクラブ 地球のはぐれ方』 村上春樹,都築響一,吉本由美


 僕はただただあふぉみたいな顔して街を歩くことが好きなんだよね。それが住み慣れた街であっても、はじめて訪れた街であっても同じだね。で、どういうわけかこれまでの仕事でそういう機会が多々あったから、そういう機会を遠慮なく堪能してたわけさ。そういう機会ってのは、街を歩くってことだよ。最近では仕事名目で青森や宮崎や水戸に行ってきたし、1人でふらっと仙台や札幌や台湾に行ったときもすこぶる楽しかった思い出しか残ってないね。


 で、そんな中でおぼろげながらに僕の抱いていた究極の旅行スタンスというものがあるとすれば、この「東京するめクラブ」のような旅行のことだね。流行とか旬とかトレンドとかをいっさい無視した流浪の旅だよ。それも3つも4つも目的をもたない、わりとゆるい無計画なやつがいいね。でさ。なんかいろいろうまいこと言おうと思ったけど、結局のところは、この本の「後書き」に、僕が言いたいことのすべてが書いてあるんだよね。この本を単行本で読んだときも同じことを書いたけど、最後に紹介しとくとするよ。僕がわざわざいらんことを言う手間が省けるからね。

後書き――幸せの敷居
都築響一


(略)
僕は大自然というのにあまり興味がわかなくて、ものすごく雄大な風景に接しても5分ぐらいで飽きてしまう。それより得体の知れない町の、路地裏をおそるおそる歩いてみたりするほうが、ずっと楽しい。
 そういう僕にインタビューする人がたまにいるのだが、いちばんよく受ける質問のひとつが、「いまどこがおもしろいですか?」というやつだ。はっきり言って、こういうことを聞かれた時点で、「つまんないやつだな、こいつは」と思ってしまう。どこかへいっておもしろがるというのは、その場に身をおけば、なにかがやってきてくれるというような受動的行為ではなくて、どうやってここをおもしろがろうかとみずから動き回る、能動的な行為なのだ。
 つまらなく見える町を、なんとかおもしろがろうとする努力。つまらなく見える人生を、なんとかおもしろがろうとする努力。このふたつには、たぶんほとんど違いがない。
(略)
ときには爆笑、ときには憮然としながら日本と世界の片隅を延々うろついたのは、なにも熱海や江の島を「次の夏休みにはぜひ」とお勧めするためなのではなくて、「幸せの敷居を低くするのが、人生をハッピーに生きるコツなのかも」と提案してみたかっただけだということを、薄々でも感じてくれたら、すごくうれしい。