1Q84を読んで、数学の魅力を思い出す


 僕はね、小学校2年生くらいのときに「公文」に通いはじめたんだ。ひたすら計算をやらされる塾といえば塾だし、塾じゃないといえば塾じゃない習い事のことだよ。うん、友達がやってたって理由ではじめたんだよね。で、4年生か5年生くらいまで、毎週月曜と木曜に教室に行って決められた分量の問題をこなし、さらにまた決められた分量の宿題をもらってってのを続けたわけさ。まあ、それなりのヴォリュームの計算をしてきたと思うね。


 数字をつかった計算ってものの、きっちり答えがはじき出されるという部分にこの上ないおもしろさを感じてたね。例えば「2×2=4」ってものは、絶対的に完璧な解答であって、何者をもってしても、核弾道が発射されてもブレないわけさ。この唯一無二の答えを探し出す、しかもできるだけ短時間のうちに、というトレーニングは、僕の脳みその核の部分の形成に大きく役立ったと思うね。まじ。自慢じゃないけど、小学校、中学校とそれなりに勉強ができたのも、この公文の計算経験があってこそだと思うね。自慢じゃないけどね。


 でもまあ高校レベルの数学には、まったくついていけなくなったし、やがて「これといった答えがない」という「文章」の方に興味が傾くわけだけど、僕には数字や計算に対する憧れとか魅力ってのが根底の部分にはあるんだよね。それを思い出したよ、『1Q84』の天吾の章を読んでてね。何事においてもクールに計算できる人間ってのは、かっこいいわけさ。そういう人間になりたいなって思うね。


◆日本公文教育研究会



【重版予約】『1Q84 book 1』村上春樹