生命と食材の間に


 僕が大学の講義で覚えている数少ない話でもするよ。


 1年のときに、社会学なんとかってクラスだったと思うけどこんな授業があったんだ。「前期は、みんなに日ごろ疑問に思ってることとか知りたいこと、何でもいいから見つけてきてもらって、1人ずつ発表してもらう。で、その中でおもしろそうなもの投票して、後期につっこんで勉強していこう」とか課題を出されたわけさ。こういうのって高校までの授業じゃなかなかやらないから面食らったわけだけど、僕は発表の順番が後の方だったので、まあ他の人の発表を聞きながら考えればいいやくらいに思ってたんだよね。で、その他の人の発表を聞いてておもしろいなと思ったのがあったわけさ。


 そいつはね、牛肉とか豚肉とかができる過程を知りたい、みたいなことを言うわけさ。つまりさ、有名な何とか牧場とか養豚所とかテレビで出てきて、牛がモーモー、豚がブーブーいってるとこが放送されたとしても、次に目にするのは、パックに入ってる「肉」の状態なんだよね。生きてる牛や豚が、僕らが普段食べている「肉」になる過程というのは完全に「ないもの」として隠されてる、と。ブラック・ボックスになってるってね。どういう風に牛や豚が殺されているか、そしてどういう人がどういう表情をして殺しているか、そういった部分を含め、みんな知りたいと思わないかい、とか言うわけさな。まあ喋りが上手かったってのもあるけど、おもしろいこと言うなと思ったよ。うん、たしかに興味あるよね。でもそれと同じくらい、別に知りたくねーよって気持ちもあるけどね。


 で、なんでそんなことを思い出したかって言うと、きのうのNHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」を見てたら、マグロの仲介業者にスポットが当たってて、水揚げされたマグロを物色しながら、マグロの切り身を手の中でぐねぐねと粘土みたいにこねくり回して、脂が乗ってるとか赤身がどうのとか言ってるわけだよね。要はね、気持ち悪いことをしてるわけさ、僕に言わせてもらえばだけどね。生き物と食べ物の真ん中にいる人間ってのは、その物体をひとつの「モノ」、ひとつの「素材」として捉えてるんだろうなと思ったんだよ。だって、たとえそれが仕事とはいえ、マグロを自分の手の中ですり潰して、ペロッと味見するとかしたくないしね。


 つまりさ、普段の何気ない食事でも、僕らは感謝しないといけないということだよ。生命であった牛や豚やマグロを、食という楽しみに変換してくれるプロフェッショナルにってことだよ。


 まあでもその番組にしたところで、釣られたマグロはすでに死んで冷凍された状態だったね。やはり生きてる生物がどういうルートに乗って、「食」の素材になったかはわからなかったよ。ちなみに、大学のときの講義では、牛肉・豚肉の発表案はつっこんで勉強することにはならなかったね。僕は1票入れたけど、多分女子には不評だったんだと思うな。やはり、この生命が食材になる過程というのは、一般人は「知らなくてもいいこと」なんだろうね。


◆NHK プロフェッショナル 仕事の流儀