「本番に弱い」を考える


 小学校の頃、少年野球をやっていたのだが、練習試合や大会の試合をしていて、どうにも感じた違和感があるんだ。それはね、試合っておもしろくないな、ってことだよ。


 例えば、普段の練習のバッティング練習とかだと、1人10球とか20球打つわけだが、さすがに20球も打つといい当りも出るし、それで気分がよくなったりもするわけさ。でもさ、いざ試合になると違うんだよね。相手ピッチャーは打たれまいとして投げてくるわけだし、そもそもバッティング・マシーンのように一定のところに投げ込んでくるわけでもないから、なかなか打てないんだよね。当たり前のことかもしれないけど。しかもおのおのがやいのやいのとやってる練習とは違って、その場にいる全員の視線が自分に向いてるというプレッシャーもあって、つまりはまいがっちゃうわけだよね。守備のときだって、何もしてないくせにベンチとポジションを行ったりきたりするだけで、すごく疲労を感じるわけさ。で、順番がきたら1人でバッター・ボックスに立ってって、もうそのときにはぐったりしちゃってるんだよ。だからね、試合で「楽しかった」という思い出がないんだよ。まあ結果を出してないから当然かもしれないけど。


 でね、この違和感を大学のときにも感じるわけさ。バンドやってるときだね。練習のときは楽しいけど、本番の客の入ったライブになると演奏しててつらいと感じることが多々あったんだよ。普段は当たり前のように弾けているフレーズなのに、どういうわけか指が動かなくなったりしてね。理由は簡単なんだよ。客が入るとテンション上がるから、普段の練習でやらないような動きをするから調子が狂っちゃうだけなんだよね。



 つまりはこういうのが本番に弱いって言うんだろうなって思ったんだ。で、本番に弱いってのは、普段から本番を想定してないってことなんだろうなって思ったんだよ。


 この事実に気づいたのは最近の話で、10キロマラソンの練習をしてるときだよ。それまでは夜に走っていたんだけど、実際のレースは朝の8時からだったから、「このまま夜にいくらいいペースで走れても意味ないな」という考えが頭をよぎったんだ。でだよ。実際、気づくことはあっても、2時間ばかし早起きして走って会社行くってのはなかなか実行し難いことだけど、ぱっと切り替えられたのは、この小学校のときと大学のときの苦い思い出があったおかげだね。おかげで、朝に走るということに対して、体調面、精神面での負荷はなかったしね。ただ、ツメが甘かったのは、朝だろうが夜だろうが、そもそも10キロという距離を走ったことがなかったってことかな。


 まあとにかくね、練習ってのは本番と同じレイヤー上で行うべきなんだよ。本番を想定しない努力というのは、まったくな時間と労力の無駄で、頭の悪い人間がすることだなと思ったね。覚えておきな。