社会人の毎日はオートマチックに流れていく


 2002年という年は、僕がこの上なくフリーランスな年だったってことは前にも説明したよね。で、その頃は仕事もせずに、バンタンっていうキャリア・スクールに通って、雑誌の編集や物書きの勉強みたいなことをしてたんだよ。で、その物書きのクラスが、毎週土曜の朝っぱらにあったわけだけど、毎回宿題が出されてたんだ。架空の有名人にインタビューをしたつもりの記事を書いてこいとか、自分のよく遊びに行く街についてのレポを書いてこいとか、なんかそんな感じのだね。


 でね、僕は仕事もバイトもやってなくて、もうバンドもやめてたから時間だけは腐るほどあるわけさな。朝10時に図書館に行って、閉館の夕方5時まで本や雑誌読んでるって生活だったくらいだしね。だから、その物書きのクラスで出された宿題にしても、充分すぎるほど時間をかけられたし、嫌というほど推敲もできたわけだ。だから、毎回そこそこの評価をもらってたんだよね。そこそこの。



 でね、当時思ったんだけどさ、クラスには、その宿題を適当にしかこなしてないと感じる人も何人かいたわけだよ。半分くらいしか書けませんでしたとか、明らかに練り込み不足のものとかね。高いお金払って、土曜の朝から授業受けるくらいなのに、なんで課題を仕上げてこないんだろうかと僕は疑問に思ったりしてたんだ。でもね、クラスの他の人達ってのは、たいていは職を持っていて、働きながら授業を受けていたんだよね。自分のスキルアップだったり、転職を考えてたりといった具合にね。だからさ、当時の僕のように、宿題に充分な時間をかけるなんてことはなかなか難しかったってことなんだと思うね。


 仕事をはじめると1日や1週間、1ヶ月が驚くほどオートマチックに流れていくもんなんだよね。だから、その流れの中に、これまでとは別の作業を割り込ませるのは、なかなかの気合いと集中力が必要となるんだ。特に文章を書く作業には、タフな集中力が必要で、仕事でまいってしまった身体ではなかなか書くことに集中できないことも多々あるわけさ。実際このブログも書いていても適当なとこで終わらせることが多くなったからね、働くようになってからは。途中で、めんどくせって投げ出すことが多くなったわけさ。根気もなくなったしさ。


 つまりさ、好きなことに時間をいくらでもかけられるのなら、誰だってある程度の成果は生み出せるってことだよ。でも、大人になってしまうとそんなことは不可能なんだよね。現状の生活をキープすることでやっとなわけで、好きなことにすらろくすっぽ没頭できなくなってしまってるんだよね。うん、つまりさ、この話のオチをどこに持っていくか、強く考えるだけの気合いと集中力と時間がないってのが、社会人ってことだよ。だからもう終わらせてもらうね。ではまた。