夢〜33歳のハローワーク


 子どもの頃から、夢見た事柄について挙げていこうと思うんだ。ここでいう夢ってのは、寝てるときに見る夢じゃなくて、将来どうしたいこうしたいってヤツだよ。

  • 漫画家…僕がいとこの家ではじめてドラえもんを読んでから、それはもう藤子信者になったわけだけど、小学校の低学年のときは、休み時間はずっと自由帳とかノートに漫画を書いてたね。んで、中学年くらいになると、カブラペンとかGペンとか雲形定規とかを買い揃えて、その気になっていたね。高学年になると、学級新聞みたいなものを誰に頼まれたわけでもないのにせっせと書いて、先生に印刷してもらってみんなに配ってたね。つまりさ、何か書いて人に見せるってのが好きだったんだよ。でも、なんかイマイチ絵が上達しなくなったなと感じて、やがてどうでもよくなってしまったね。中学入ってからは、漫画すら、てかジャンプすら読まなくなったね。
  • 野球選手…まあ、当然のように憧れる職種なわけで、とにかく早く大人になって中日新聞社に売り込みに行って、ドラゴンズの選手になってやろうと野心を持ってたんだ。当時は、球団の親会社に挨拶行けばプロ野球選手になれると思ってたんだよ。そんな夢を毎週毎週土曜の夜になると親父に話してたんだけど、入団の経緯に関して一切否定されなかったのは、優しさ故なのか、めんどくささによるものなのかは、わかんないけどね。まあとにかくさ、小学校の学童野球の時点でたいして上手になれなかったんで、わりとすっぱりあきらめたな。まあ中学の部活にまで続けるほどじゃないなって。結果的には大人になって草野球をやりたくてしょうがなくなって、また野球をはじめたってことは、一旦中途半端なところで辞めてしまってよかったのかもしれないけどね。


  • 楽家…音楽家と書くともうそれだけでクラシックの類の人のようだけど、結局はバンドマンだよね。まあそれでも高校の頃から、上の2つ以上に、というかこれまで生きてきた中でも、わりかしマジで取り組んできた夢かもね。自分なりに時間をかけて練習もしたし、あれこれ知恵も絞ったし、相当な投資もしてきたからね。僕がこの夢をあきらめた一番の理由は年齢的なものかな。23歳くらいのときに、引き返すなら今しかないなって意を決したんだ。それなりに諸々自信はあったけど、もう自分がどうこうではなく、会社であったり世の中であったりと受け入れる側のニーズに合わない時期になってしまったなって。賞味期限がきたな、みたいな。当時、24歳という、2回目の年男にあたる年齢を大きな区切りと考えてて、その前に、いろいろと整理をしておきたかった時分でもあったんだよ。
  • 大学教授…浪人して大学に受かったときに、なんとなくこのまま勉強をし続けるのもおもしろそうだな、って思ってた時期があったんだよね。まあ僕は昔から勉強することは嫌いじゃなかったんだよ。でも結局は大学に行ってバンドを再開したことで、勉強なんてそのへんの石コロくらいに無関心になったんだけどね。あげく大学も辞めちゃったから、もうその資格すらないだろうね。
  • スポーツライター…2002年、ニートをやってる時期、毎日毎日図書館に行っては、本や雑誌を読みあさってたんだけど、世の中は日韓ワールドカップってなもんで、特にNumberをはじめとするスポーツ誌を穴が開くほど読み返してたんだよね。そんな中、何かを書くことに興味を覚えるわけさ。この頃、ホームページも作成して、結構な分量の文章を書いて、その一部をアップしてたな。なんせ時間だけは腐るほどあるからね。ちょうど「侍魂」とかが話題になってて、おもしろいテキスト・サイトが注目されてたってこともあるけどね。でもその後、仕事をはじめると思った以上に自由な時間がなくなって、まとまった調べものもできないし、そもそも書く時間すら取れなくなって、小説を書きたいって思いも似たような感じで断念しちまったね。それを実績と呼んでいいなら、せいぜい新聞の投書に何回か載ったことと、ネット上でやってた公募短編の勝ち抜け合戦みたいので、何週か勝ち抜いたことくらいだな。


 こうして並べてみると、どれもこれも中途半端で終わってるよね。てか、ぐっと踏ん張って、こっからが勝負だってポイントの2〜3歩手前であきらめてしまってるんだよね。やっぱりね、ガッツが足りないんだよ。というのも、行き当たりばったりだから、ちょっと躓いただけでもいちいちダメージが大きいんだろうね。やっぱり長期的なヴィジョンってものが大事なのかもしれないね。ヴィジョン。猫も杓子も使ってる用語だから、口にするのも恥ずかしい単語だけど、それだけ使われてるだけあって、何かをはじめるにあたって大事なキーワードだって今気づいたよ。まあ君もまだ正月ムードのうちに、これまで見てきた夢のおさらいでもしておくと楽しいかもね。自分の弱い部分に気がつくと思うよ。