「幸せとは何か?」


 もしさ、「幸せとは何か?」って訊かれたら、君は何て答えるかな。というのもね、最近、このテーマで議論があったんだよ。まあ議論っていっても、友達と意見し合っただけだけどさ。しかもメールで。


 そこで挙がった意見としては、「そいつが幸せと思ったら、正解」みたいなもので、他人がとやかく言うもんじゃないってことなんだ。お金や地位や名誉なんなくても、幸せだと思った奴勝ちだってね。で、別段そのことに関して、ここで踏み込んでいこうとか、反対意見はないかとか、話を深めていこうとは思わないんだよ。それが正しいとか間違ってるとかは気にしないでくれよってね。だって、一理あることは君だって認めるだろ。否定しようがないと思うよ、「そいつが幸せと思ったら、正解」ってことにね。でね、僕はね、そこでふと、「食事の時間」ってキーワードを思いついたんだ。つまり幸せのメタファーとして、食事ってもんを考えるのが一番しっくりくるなと。


 それが1人だろうと、複数人だろうと、家族だろうと、友人だろうと、接待だろうと、おいしい物だろうと、いつもいつも同じ物だろうと、ダイエット中だろうと、贅沢ばっかだろうと、その食事の時間をどう感じて過ごしているか。それによって、その人の本当の幸せ度がはかれるんじゃないかってことだよ。



 そう考えるとね、我がニッポンのような経済大国でなくとも、最低限の飯が食えている国の人達は、それなりに幸せだとも言えると思うんだ。家族であったり、仲間内で、そいつらが可能な範囲での食事ができれば、それこそ幸せを感じられるだろうってね。決しておいしいとは言えない食事でも、一緒にいるメンツが楽しければそれでも充分だよね。僕も昔、野球の帰りに安い焼肉屋さんに行って、「テーブルがベトベトする」とか、「この肉、草履の味がする」とか文句言いながらも、それはそれで愉快で幸せな時間だったからね。一方、食事もまともにできない貧しい国や、ビクビク怯えながら食事をしなきゃいけない戦争中の国なんかは、それこそ幸せなんか感じられないわけさ。


 もし君が、時間や金がないって言ってギスギスした毎日を送ってたとしたら、食事の時間や、食事の時間を誰とどう過ごすかってことに、もう少し気を使ってみたらどうかな。たまに贅沢をしたり、いつもと違うメンバーを食事に誘ってみたりとかね。もっといい意味でのゆとりができてくるんじゃないかな。


※参考
◆「お金=幸せ」ではないが、幸せを得るためにお金は必要になる<ライフハッカー[日本版] (2011.01/06)