八百長ってなんだ?

(前略)
 わたしは石原都知事が言うように、昔から大相撲は「そういうもんだ」と思う。所属する部屋は違えど、全員が「同じ釜の飯を食う仲なのである。
(中略)
 そもそも相撲というのは、「奉公相撲」があるように神事として生まれたもので、柔道や剣道とは出自が違う。さらに江戸時代以降は「興行」として発達した経緯もあり、あれをスポーツと言い張ることに無理がある。
(中略)
 だから今回の八百長問題も、個人的意見としては、「適当なところで許してやっちゃってもらえないか」という思いでいる。幕の内優勝争いでそれをやられると困るが、十両の下っ端なら大勢に影響はない。
(中略)
 結局のところ、「花を持たせる」ということがわからない人間は、スポーツ界ではやっていけないということなのである。ライバル同士とはいえ、全員が同じ船の乗組員なのである。運命を共にするだけに掟はあろうし、義理も人情もある。
(後略)


■どちらとも言えんません<Number 773


 僕が尊敬して止まない奥田英朗氏のコラム「どちらとも言えんません」なんだけど、確かに的を射てるなと思ったね。このコラムの中でも触れてるんだけど、プロ野球だって消化試合の中で、引退選手に花を持たせるプレーは毎年のようにやってることを思い出したよ。君も知ってるだろ、一時代を築いた大エースの引退登板なんてものは、相手バッターは三振をするのが礼儀みたいな空気になってるよね。最近では2007年に、元カープの佐々岡の引退登板で、ベイスターズの村田がこともあろうにホームランを打ちやがって、ましてやその1本で単独ホームラン王になったことで、村田はやいのやいの言われてしまったしね。じゃあそれって三振したら「八百長だ!」って問題になったかと言うと、絶対ならないよね。うん、絶対にね。


 結局のところ、大相撲がここ数年、あれやこれやと不祥事を起こしてるから、弱い者いじめの空気で叩いてるだけなんだろうね。もちろん、角界の密閉され、かつ古臭いねじれた風習を改善するには、良いチャンスなのかもしれないけど、場所の中止を3月以降も続けるってのは、なんか違うよね。「怪我をするかもしれない、危ない」って理由で、小学校の運動場から遊具を撤去するみたいな、掛け違い感を感じてしまうよ。それによって、大事な何かが永遠に失われてしまうことになりかねないってなことだよ。


 まあとにかくさ、僕は別にそこまで相撲好きなわけでもないけど、娯楽としての相撲が廃れてしまうってのは、ものさみしい気がするんだよね。だから、「適当なところで許してやっちゃってもらえないか」ってのは、僕も思っちゃうね、まじで。