「普通」でいること
◆頑張れとか復興とかって、多分、今言うことじゃない。<はてな匿名ダイアリー (2011.04/07)
頑張ろう、頑張ろうって言うけど、
家が流されたんだよ?
と、福島の兄に電話したら、言われました。
おまえ、ちゃんと分かってるの?
超つらいとき、「とりあえず帰りたい、もう帰りたい」っていう、
あの帰る家がね、全部流されたんだよ。
俺、もう、家ないの。
明日も頑張ろう!って決意するような場所がね、ないわけ。
今日も疲れた―!ってドア開けてホッとするような所がね、
全員、一瞬にして、心の準備もなく、いきなり11日から消えたわけ。
おまえ、家ないのに頑張れる?
服も漫画も、化粧道具も、アルバムも、大事にしてたもんも、全部いっきに無い。
よし、頑張ろう!って思える?
すげぇ言われてるんだけど、CMとかで、頑張れ頑張れとか。
ちょっと気を許すと、「一緒に頑張ろう!1人じゃない!」とか言うわけ。
いや、おまえら家あるじゃん?そのCM撮ったら家帰ってるじゃんって。
仕事もあるじゃんって。
(中略)
「何か、できることある?」何を言っていいかわかんなくなって、兄に泣きながら聞いたら、
「正直、不幸になってくれたら嬉しい」
と言われた。
「俺たちを幸せになんてふざけたこと思わないで、
俺たちの分、そっちもみんな不幸になってくれたらなー」
と言われた。
「俺たちを想って歌とか作られても今は不愉快だから、
東京も全部流されて、それでも「頑張ろう」って言われたら、
頑張るよ。その人の歌なら聴く。
知らないやつに、馬鹿みたいに「頑張って」とか「大丈夫」とか言われると、
今は正直、消えてほしくなるよ。
募金は嬉しいよ。で、ボランティアじゃなくて、ビジネスで、仕事として、
町を復興に来てくれた方が、こっちも気兼ねなく色々頼めて気が楽。
正直、ボランティアに「ありがとう」とか言うのも苦痛。」
と。
兄と電話で話してから、テレビを見てたら、すごくモヤモヤしてしまって、増田に書きなぐりました。
何となくね、僕もこういうことは感じていたんだよ。「東北がんばれ、日本がんばれ」なんてのは、僕ら自身が無害であり、外野の人間だから言ってられるんだろうなって。少し前にあったサッカー慈善試合のカズのゴールだって、自分の家で家族と一緒に観戦し、興奮してたわけなんだよ、僕は。そんで、パソコンを開いてYouTubeで同じゴール・シーンを何度も再生しては、また悦に浸ってたりね。誰にも気を使うことなくね。で、次の日になれば、職場に行って「きのうのカズのゴール観た?」って話をして談笑するわけさ。でもさ、被災地で避難所にいる人達って、こんな自由は存在しないんだよ。それでいて、何をがんばるんだって話だよね。
てな感じで、最初にこの文章を読んだときは、なんかやるせない気持ちになって、やっぱ外野の僕らが「復興だ」とか「日本は強い」とか「今こそ、ひとつに!」とか「絆」とか言ってんのは、誰も気づかない偽善みたいなもんで、余計なお世話だなと思ったんだ。退屈な日常の中で見つけた刺激を都合よく楽しんでいるだけなんじゃないかってね。
でもね、「じゃあ、どうすりゃいいんだよ」って考えるとさ、ベストな解決法なんてないんだよね。日本中みんなが不幸になれば現状の問題はクリアされるのか、被災者は納得するのかと言われたらそんなはずはないわけだしさ。まあもちろん、この話ってのは、兄弟間で交わされたものだから、純粋な本音であったとしても、決して表向きな主張ではないだろうけどね。
まあ僕の意見してはね、「普通」でいられるなら「普通」でいることがベターなんだろうなと思うんだ。もちろん、テレビを見たり花見に行ったりもすればいい。元気を与えるとか抽象的なことは言わずに、応援してるよなんて思わせぶりな態度も示さずに、自分の生活をまっとうするってね。まあ、これ以上の特別なオチはないけど、何となく書き留めておいたよ。